22歳を迎え、自分の家庭環境について考えた夜

ゆんでございます。
全力でオタクの記事を書いておいて突然シリアスになるというこの温度感は私をよく知る人ならまぁわかる、それがアンタよね、と思うのではないでしょうか。

なぜこんな事を書くことになったかと言うと、前の記事でも話したんですが、21日に22歳の誕生日を迎え、これまでうやむやに、特に深く考えずに生きてきた自分の事、家族の事、友人の事、出会った人達の事を考えたのです。

その中で、特に自分の家庭環境に対する思いが自分の5割くらいを占めるのでその話から整理しようかなって。

みなさんは1回くらい、こんなニュアンスの言葉を聞いたことはないでしょうか。
「これだから父親のいない子供は……」
私も実は、私が直接言われたわけではないですがこの言葉を耳にしています。
その後に続く言葉はいろいろです。
「育ちが悪い」「品がない」「自分の意見が言えない」「協調性がない」など、とにかくネガティブな言葉が多い。
は?それは片親の家庭に限った話ではないし、後付けの理由で親までdisるなんて何事?
それからだと思います。私が社会に対してバッチバチに反抗して自分を表現するようになったのは。

うちは世でいう母子家庭です。家には父が居ませんし、祖父も私が生まれる5年以上前に亡くなってしまって、女ばかりの家に20年以上住んでいます。
母から父の話を聞いたこともないし、私が父について知っていることも殆どありません。
2018年に友人と行った横浜の占いでは、父について「世の中には知らない方がいいこともある」と言われました。いや言い方よ笑

だから、と言うわけではありませんが、私は比較的幼い頃からどこか冷めたものの見方をする人間だったように思います。
他の同年代が熱中するようなものにあまり深くまでのめり込みませんでした。外遊びに夢中になるとか、ゲームを何時間もやるとか。
体育大会とかも苦手だったので、応援団の人達にわからないように手を抜いてました(そのせいだけでもないですが、その年、私は得点掲示長を教師に押し付けられたけど自軍が競技の部も応援の部も負けたという報告を閉会式でしました、笑ってしまった)。
年子の妹は少し手のかかるタイプだったので、私は手放しで自分でやって、なことが多かったですが、妹のことになると母が準備を念入りにしてあげたり、目的地までの送り迎えをしたり。中学生の頃なんかは「は?????」の嵐でした。
もちろん私に関心がない訳ではなく、妙に大人っぽい私への、信頼の現れだと今になればわかるのですが。

そして避けて通れないのは金銭的経済的な話。
富山県は全国的にも裕福な暮らしをしているし所得も高いとよく聞きます。たしかに。自分の家庭で東京とかでは暮らせなかったなと思いますね。
ですが富山にいようとも、貧しい人間は貧しいです。うちが1番とは言いませんが、うちは中途半端な貧乏なので(税金はギリギリ次の上の区分で取られるとか、所得がちょっとだけ区分を上回って奨学金が受けられないとか)。

こうやって書いてみると、両親が揃った家庭では知り得なかったこと、経験しなかっただろうことで苦労した事実もあるにはあります。
でも、じゃあ私が幸せではなかったかというとそうでもないです。
したいことはだいたいしてきたし、一丁前にアイドルを推したりもしているので。

この22年の全てが、今の私を作っているんだと思います。
軽はずみにものを言わないこと、自分が知らない世界もあるんだと理解はすること、偏見を持たないこと、自分の意見は持つこと、空気も読むこと……。
パッと全てを言うことはできないけれど。

制限がある中でも、最大限の自由を母がくれたから。
私は今こうなんだろうと思います。

片親の家庭でも、両親がともに居なくとも、もちろん両親が揃っている家庭でも。
親がどうだから子供がこう、と直結はしない事を理解してほしいし、世の中からそういう偏見を早く無くしたい。

あと、この話で同級生を1人泣かせたことがあるんですが、私は結婚式に祖母を呼ぶのが夢です。その理由は、私がおばあちゃん子だったからに尽きるんですが、よく考えると、実はそれだけではなくて。
これまでまともに伝えたことのないこの感謝を、結婚式くらいは祖母や母に伝えられたら良いなと思っています。

1ミリもまとまらなかったこの話ですが、要するに「母子家庭で育とうが私は幸せですけど何か?」っていう、世の中の偏見への中指攻撃です。

無事に22歳を迎えられたこと、家族に感謝して今日からまた頑張ろうと思います。

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