①私が「クリエイター漫画」が嫌いな理由。もしくは「ファッショナブルでアーティスティックでコミュ力高く、かつ自然体で柔軟で臨機応変な人材たれ」という要請を社会から受け取った少年はどのように歳を喰っているか(ゆとり世代Ver)
「クリエイター漫画」とは
まず、それはどういった作品等を指すのかについて説明させてください。
クリエイター漫画というこの呼び方が一般的なのかはわからないですが、「主要登場人物が美大生、漫画家、アニメ映像制作関連、クリエイティブ制作会社勤務、広告代理店勤務、アーティスト、小説家、及びそれらを志す者という設定を持っていて、かつその肩書きや職種においての環境や業界での成功と成長を目指すことを物語の主軸の一つしている」漫画を(勝手に)そう呼んでいます。
(もう少し定義を限定しない言い方にするなら、「作品を創る<造る>者」とか??というか、「クリエイター」と呼ばれる可能性のあるものは全て当てはまり得ると思います。)
ここで定義を決めたい訳でも、きちんとカテゴリ分けをしたい訳でもありませんが、例えば主人公や重要登場人物が「クリエイター」であっても物語の進行の軸が「創作による成功や成長を目指すこと」ではない場合はこの限りではない、と思っています。
例えば「岸辺露伴は動かない」は、主人公が漫画家ですが「創作による成功や成長を目指す」が軸というよりは、露伴の周辺で起こる怪異や異変を扱っている作品だと言えるのではないでしょうか。
もう1作品挙げるなら、「NANA」は主人公の一人がバンドのボーカリストであり「クリエイター」に含まれると思いますが、作品のテーマとしては「創作」というよりは恋愛と友情を大きな要素とした「人生(の苦難)」そのものにフォーカスしているナラティブであり、クリエイター漫画と呼ぶのはしっくりこない。異論は多々あるかと思いますし、そこらへんを他の方がどう捉えているのかに興味はあるものの、私なりの定義でいえば「クリエイター漫画」ではない。
そして、これは付け加える必要はないかもしれませんが、作家自身が主人公の日常生活を取り扱ったエッセイなども「クリエイター漫画」と私が呼ぶ範囲には含まれません。(ただ、東村アキコ「かくかくしかじか」や
藤子不二雄「まんが道」などはクリエイター漫画に近い気がする、、、)
物語の主軸は恋愛や友情やそのほかだけど、回や章、場面によっては「クリエイターもの」の側面が強くなる作品などもあるので、明確な定義はやっぱり難しいようには思いますが、、、。
じゃあ、具体的にどんな作品が挙げられるのかというと枚挙にいとまがないのですが、下記のような作品が含まれるはずです。(恐縮ですが、私の思いついた順に列挙していきます。)
・バクマン
・ブルーピリオド
・左ききのエレン
・べしゃり暮らし
・これ描いて死ね
・大東京トイボックス
・描かないマンガ家
・G戦場ヘヴンズドア
・まんが道
・ハチミツとクローバー
・あくたの死に際
などでしょうか。
今回はひびきの良さから「クリエイター漫画」という形で括らせてもらったのですが、「クリエイターがその業界での成功や成長を大目標としている作品」が存在しているのは当然、漫画に限ったものではありません。
小説や映画、演劇そのほか様々な媒体で数限りなく見つけることができるでしょう。(そういうものに対しても同じ感情を抱いています。)
嫌いな理由
で、私がこれらの作品が嫌いなのかと言われればまあ「嫌い」なんですが、
ここでは個別の作品をそれぞれ批評、批判したいという意図はありません。(作品を鑑賞し、結果バッド寄りですねという批評を各々が下し発表すること自体は、何も悪くない健全なアウトプットだと思っています。)
このテキストの主軸は「二宮という私の個人的な人生」と「私が生きているこの社会」であり、個々の作品にフォーカスするものではありません。
私が「嫌いにならざるを得なかった」というだけの話です。
なんなら上記に挙げた作品の中で大好きだったものもあるし、結局のところ可愛さ余って憎さ100倍 という側面もあるのです。
先に嫌いな理由を大別して述べておくと下記(A〜B)のようなものになります。
A. 嫉妬
B. 資本主義的価値観と、ポストフォーディズム以降の社会が要請する新自由主義が求める人材の要諦を、世間や若者に「良いもの」として浸透させる体のいいツールとして機能しているのではないかと、いう疑いから。
C. 作者や出版社の周辺を描いてたりすることが多くて、取材する労力と費用ケチってんじゃねぇよというイチャモンも、そんなに的外れだとは思わない。特に漫画などで編集部内での描写が多いと寒い。互助会かよ。
Cはちょっと悪口に近いような気もしますが、一旦無視してください。
私がここで取り上げていきたいのは主にAとBです。
この記事の目的
記事タイトルに「①」と記載している通り、まだ続きます。(④まであります。)
先に挙げたAとBの掘り下げについては次回以降に書かせていただくとして、1記事目の締めとして、私の目的を示しておきたいと思います。
これは私が「社会の何に困らされてきたのかを理解したい。スムーズで素敵なストレスフリーな人生というものが仮にあったとして、何がそれを阻んでいるのかやはり知りたい。」というところから出発した疑問を解決するためのものです。
そして何か、最近その輪郭のようなものがようやくぼやっと見えてきたような気がして、それは全く見当違いな可能性も高いのだが、もう少し思考して追求してみたいと思っている。ただ、そのために参考になる文献のようなものが現状では、世間にたくさんあるわけではないようだ。(だから私も苦労しているのですが)
だとしたら他にも同じような要因から人生を狂わされた人がいたら、その人も答えに近ずくことが困難な状況にいる可能性が高い。
その人にエールを送りたいし、できるなら励まし合いたいし、話しあいたい。あなたを見つけたい。
あなたは私だから。
要領を得ない文章で申し訳ありません。
ここら辺も含めて後々、詳細は書いていきたいと思います。
ひとまず、ここまで読んでいただきありがとうございました。