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虐待が起こるメカニズムを分析すると誰にでも起こり得る話しだった件

こんにちは。認定NPO法人フローレンスの米澤です。
前職では認定NPO法人ブリッジフォースマイルで理事と企業渉外の責任者をしておりました。

今まで、「社会的養護」や「虐待」の説明をたくさん、体外的にしてきましたが、そこで幾度となく聞かれました。

『どうして虐待って起こるの?』

『なんで子どもを虐待するの?』

ニュースで、痛ましい児童虐待の事件が流れる度に、思っている方もいるのではないでしょうか。

『なぜ?』

そう言われた時、まず、「誰にでも起こることだって考えてます」と答えています。
すると、お子さんがいる方の多くが黙って頷き、お子さんがいない方の多くが怪訝な顔をされます。

このnoteで、虐待って何なのかについて書いてみます。
一部専門家の中で言われていることで、児童相談所などではその前提と見聞きしますが、総じて、個人的な見解になります。


虐待が起こるメカニズム

虐待は依存症。

児童養護施設を退所した若者の就労支援をしていた時、対象が未成年だと児童相談所の人と施設の退所前後で、子どもの情報を共有することがあります。せっかく良いと思う企業先に就職しても、お金を稼ぎ出すと、親が現れたり、仕事が上手くいかず行方不明になったりすることがあります。

お金を稼ぎ出すと、突如親が現れる。悲しいですが珍しいことではないです。就職前にその可能性を児童養護施設の職員さんと相談します。リスクが高い場合、企業に予め、親が連絡してきても、「社員の在籍に関する質問には対応しておりません」や「社員のプライペートに関することはお答えできません」と伝えてほしいと対策を打ちます。

ある日、そのケースで、就職後に連絡がつかなくなり、施設の職員さんから、母親との関係整理ができていなかった。と言われたことがあります。
本人は、母親との面会も拒否していたし、一緒に暮らしたいって思っていなかったので、親がしてきたことや今後の可能性について本人に甘く伝えていたかもしれない、又、親が現れるのは誤算だったと児童相談所側が話していました。
施設側が、様々な事実を考慮した上で、母親を悪者にせず退所させた方が良いと判断したのでしょう。
事実関係を整理して、企業に謝罪しにいった所、もう少し待ちましょうか?そう言われました。頭を下げ、話を持ち帰り、本人が戻ってくる可能性と期限を関係者で話し合うことにしました。
そこで、
「虐待は依存症ですからね。現場での常識です」
そう言われました。

精神科医で児童相談所の子どもたちやDV被害者の診察をされていた大塚俊弘先生もインタビュー記事で同じようなことを言っています。

子ども虐待はアディクション、つまり依存症です。児相の現場では10年以上前から、その前提で指導が行われています。依存症には、ギャンブルやアルコール、仕事などのほか、暴力や虐待、さらには特殊な人間関係などがあります。共通の特徴としては「やめたくてもやめられない」という行動障害であること。言い換えると、意志の力や精神力では行動をコントロールできなくなる病気であり、したがって、意志の力や精神力でコントロールしようと考えている限り、治らない病気です。

精神科医が明かす「やめたくてもやめられない」虐待依存症の実態

厚生労働省によると、依存症は、「物質への依存」と「 プロセスへの依存」2種類あると定義しています。※1

物質への依存:アルコールや薬物といった依存性のある物質の摂取を繰り返すことによって、以前と同じ量や回数では満足できなくなり、コントロールできなくなる症状

プロセスへの依存:特定の行為や過程に必要以上に熱中し、のめりこんでしまう症状

厚生労働省:依存症対策

そして、先に紹介した大塚先生によると子ども虐待やDVは、「暴力、力による支配」という行為過程(プロセス)の依存だと話しています。


行為過程の依存症である虐待とは

ギャンブルや買い物、暴力による支配などの行為で、ストレス状態にある脳が一時的に開放感、快楽を覚えるメカニズムです。
買い物をするとスッキリしたり、ゲームやパチンコで勝ってスッキリしたことはありますか?
ネットなどで、他人が馬鹿にされたり、自分が人を罵倒してスッキリしてしまうことは?
そのプロセスで脳が快感を覚え、ストレスなどがかかっている状態だと、その快楽を求めて止められなくなることが、行為過程の依存症です。依存症の方の支援をしているNPO法人ASKのHPでは、以下の記述もあります。

長いこと、物質依存と違って行為依存では身体への影響は起きないとされてきました。しかし近年の研究ではギャンブル依存症者の脳の活動や構造に変化がみられることが明らかになっており、さまざまな行為依存の形成に脳内の神経ネットワークや神経伝達物質がからんでいる可能性がみえてきました。

特定非営利活動法人ASK : 行為依存(プロセス依存)とは


行為過程(プロセス)の依存症による虐待は、子どもを暴力などで支配することで、自分が優位にたったような気持ち良さ・安堵感などを脳が覚えてしまい、勝手にその快楽をどんどん求めるようになってしまうことです。

一方で、違う分類の説もあります。
依存は、物質・行為過程ともう1つ、人間関係の3つに分類できると定義し、虐待を人間関係の依存だとする説です。
鳥取県の依存症支援拠点機関 渡辺病院では、虐待を人間関係の依存症としています。


※クロスアディクション(多重嗜癖)では、空虚感から同じようなメカニズムで病気が発症するので、同時に異なる2つ以上の嗜癖(依存)が合併することがあります。

引用:鳥取県依存症支援拠点機関 渡辺病院 HP

人間関係の依存症である虐待とは

人間関係による依存症は、相手をお世話することで自分の価値を見出し、それに執着することです。
その為、相手を自分なしでは存在できないようにしたり、自分の存在意義を試すように、相手に言うことを聞かせて、自分の価値を維持します。
単純に自分の為に、何かしてもらうと喜ぶ人は多いです。
恋人間で俺のために、私のために、●●してなどと強要するのも人間関係の依存症の1つです。
エスカレートするとDVや虐待に発展します。
子どもに依存して、支配や管理、子どもを自分の理想通りに過度にしたがる行為は、人間関係による依存症の虐待です。
2016年名古屋で起きた父親による息子の殺人は、最初、子どもを可愛がる父親だったものの学習塾に入ってから、暴力がエスカレートしていったと母親が供述しています。教育虐待と呼ばれるものは、人間関係の依存による虐待だと考えています。

虐待が、行為依存か人間関係の依存かは、専門家によっても見解が分かれています。個人的には子どもに自分の価値を依存させるものは人間関係の依存による虐待で、暴力行為や支配そのもののプロセスに脳が依存しているものはプロセスによる依存症なのだろうと理解していますが、合併していることも多いだろうと考えていて、区別は難しく感じています。

ちなみに、DV相手に対して、自分がいなければこの人はダメになってしまうと考え、離れられないのも、共依存と呼ばれる、人間関係による依存症の1つです。必要とされる=自分に価値がある、そう考え離れられない状態です。

虐待は誰にでも起こり得ることなのか

自分の生き方に無理があり、生きているのが苦しくてどうしようもないとき、前頭葉皮質(理性)を麻痺させて、大脳辺縁系(情動)を解放したくなります。つまり、自分を苦しめている問題や環境を冷静に判断し解決しようとせず、酔った勢いやカラ元気を安易に手にすることで真の問題解決が先送りされます。

引用:鳥取県依存症支援拠点機関 渡辺病院 HP

上記は、先に紹介した、渡辺病院のHPでの依存症の説明に記載されていることです。
前職に転職したばかりの頃、NPOなどよく知らない友達とご飯を食べながら、就いたばかりの仕事に関して説明していた時、友達から「自立が上手くいかないって、わかるよ、私」そう言われたことがありました。

「施設出身でもなく、家族がいないわけでもない私でも、仕事が上手くいかなくて、社会での自分の価値なんて、どうしようもないなって思わされる時、無性に男に抱かれたくなるもん。誰かを頼りたくなるんだよ。自分を無条件に受け入れてくれる家族がいなくて、仕事でも上手くいかなかったら、生きるのがしんどくなると思う。仕事にのめりこんでたあんたより、私、その子たちの気持ち分かると思う」
そんなことを言われました。

私、仕事にのめり込んでたんだ、その時、始めて知りました。

仕事を通して自分の価値を確認して、その仕事に夢中になることと、恋人を通して自分の価値を確認して、離れられないことは、何が違うのでしょうか?
世間一般的に、仕事で結果を出すことの方が恋人から必要とされるより価値があるとされているから、仕事で結果を出そうとしていただけかもしれません。つまり、構造的に何も変わらないんだと思います。

また、薬物は問題になるけど、ワーカホリックは、あまり問題にはなりません。もし、仕事の場がなければ、また、仕事を通して自分の価値を少しも感じられなかったら自分は何で満たしていたのか?

それから、色んなことで、ガス抜きをすることを意識しました。多くの人と交流を持ってみる、映画、飲食、買い物、水泳、ヨガ、お散歩、岩盤浴、MV鑑賞・・・
どれも長続きしませんでしたが笑、お寿司を食べておいしいと思えているうちは大丈夫っぽいという自分なりのバロメーターを持てるようになりました。

まだ何者でもなくても許される「学生」から、社会で自分の居場所を作る時、もし、上手くいかなかったら?
その時支えてくれる人が誰もいなかったら?
最初上手くいっても、そのうち、評価が下がっていき、自分の存在価値が分からなくなってしまったら?
その時に、友人の裏切りや身近な人の死や、更に負荷がかかることが起きた時に、お酒を飲んで心が軽くなり脳がスッキリしたら?更に弱い子どもや恋人、家族、動物が自分の言いなりになって脳が快楽を覚えてしまったら?

仕事を休職して子どもを育てながら、仕事が忙しい夫・妻の帰宅は深夜で、土日も仕事をしていて常にワンオペというギリギリの状態で、長い間、まともな会話をしていなければ?
自分1人で仕事をしながら、子どもを育てていたりしたら?その状態で、不幸が幾つか重なったら?

ニュースで流れてくる虐待などの悲劇はスクリーンの向こう側では決してなく、身近なことでもなく、そのメカニズムは、自分の中にあるものなのかもしれません。


最後に:虐待の連鎖

虐待が起こるメカニズムについて書きましたが、最後に、虐待の連鎖のことも書いておきます。
虐待の世代間連鎖、つまり、虐待された子どもが親になり、また虐待をしてしまう割合は、研究機関によって異なりますが、30-50%程であるといわれています。※3

何故か?

不適切な養育体験と子どもの依存リスクが脳科学的に密接に関連していることが示唆されています※4

7 万人以上を対象とした疫学調査で,精神疾患は児童虐待に起因することが分かり,児童虐待をなくすと,物質乱用を50%,うつ病54%,アルコール依存症65%,自殺企図67%,静脈注射薬物乱用78%を減らすことができるという結果が出ています(Dube et al.,2003)

友田 明美 被虐待者の脳科学研究 児童青年精神医学とその近接領域

つまり、虐待を受けてしまった子どもは、そもそも、依存リスクが高い人間になってしまう確率が高いということです。

最近の若者はメンタルが弱いという言葉を聞く度に、それは社会の課題なのでは?と感じてしまいます。

虐待は依存症であり、誰しもが自分の中に持っているもので、陥ってしまうと、連鎖を生んでしまうもの

だからこそ、(児童虐待は社会構造側からのアプローチも必要ですが)メカニズムを知り、自分の認知活動を客観的に捉え、手前で制御をするアプローチでも、解決できることが少しあると考えています。

注釈
※1厚生労働省:依存症対策
※2鳥取県依存症支援拠点機関 渡辺病院
※3広島大学心理学研究母親の被養育経験が子ども-の養育態度に及ぼす影響木本美際・岡本祐子
※4友田 明美 被虐待者の脳科学研究 児童青年精神医学とその近接領域 



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