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L:49 「選択」のある生活と寛容な味覚

2023.12.2

ブラック・フライデーセールが終わった。本当に安いのか、安い雰囲気だけなのかわからないまま、いくつか買い物をした。

私はどちらかというと、衝動買いはしない方で、本当にそれが必要か自分の直感を疑って、理性的な自分の決裁が下りてからでないと購入しないことが多い。ブラックフライデー中も、いろいろ欲しいものはあったのだが、とりあえずカートに入れて、2,3日考えながら、本当に買うか決めていた。

そんなことをしていたら、売り切れて買えなくなってしまったものがあった。

今、見たら値段が元に戻って在庫が復活していた。

ドリップコーヒー4種類の詰め合わせ40杯分を買おうと思っていたのだ。悩んでいるうちに売り切れてしまって、妙に悔しい気持ちになり、もう他のやつを買ってやれという気持ちで探していると、

これはモカブレンドのみの100杯分。セール中だと確か、こちらの方が1杯あたりの値段は安かった気がする。さすがに、これは多すぎると思って買わなかった。私の場合、1日1杯程度なので、100杯は多いかなと思ったのだが、それ以上にモカだけというのが、気の進まない理由だったと思う。仮にこれが40杯だとしても買わなかったと思う。

別にモカが嫌いということではない。実は4種類の詰め合わせを買っても私はどれがどれなのかわからないと思う。現に今、飲んでいるインスタントコーヒーがこれなのだけど、

どれがどんな味か香りかはわかっていない。同時に4つ飲めば、違いはわかると思うが、1日一杯だと、昨日飲んだのと同じかどうかもよくわからない。私は「違いのわからない男」なのだ(ネスカフェCM参照

私の舌はバカなのだ。
少し話がそれるが、長年↑こういう表現をして、自分の味覚が繊細じゃないことを卑下してきたのだが、こういうのもいけないなと思い、新しい表現を思いついた。私は「寛容な味覚の持ち主」なのだ。基本的に合格点であれば、細かいことは気にしないのだ(笑)そう、私の舌は寛容なのだ。今っぽい表現でいいと思う。

つまり、私は4種類あってもそれが、どう違ってとか、それぞれの特徴を理解しているわけではない。だから、一種類のものを買った方が、安いし合理的な買物ができるはずだ。

にもかかわらず、4種類詰め合わせが欲しいのだ。考えてみると、私は何種類かそろえることが多いことに気がついた。
毎日、焚くお香も「檜」「白檀」「沈香」がある。どの香りも気にいっていて、違いはわかるけれども、どの香りがどれなのかと聞かれたら、答えに自信がない。

入浴剤もそうだった。バブも6種類だ。

これなんか、ひどいというか、6種類のうち、2種類はあまり好きではないのだ(笑)
ローズハーモニーロマンティックジャスミンがどうも好きになれない。名前に余計な意味合いをつけないでほしい。意味はこちらでつけるから。
私は柑橘系の香りが好きなので、「きんかん」一択でもよいはずなのに、きんかんだけを買うということはしたことがない。

毎日、くじ引きのように箱からバブを取り出して、ジャスミンが出れば、しぶしぶロマンティックな湯に浸かり、きんかんが出れば、自分の強運を誇りながら湯に浸る。実に非合理的な行動だと思う。

コーヒー、お香、入浴剤、一種類にしてしまえばいいのに。

これを読んでいる人の中にはその日の気分で種類を変えたいという人がいると思う。ただ、私の場合、それぞれの違いがよくわかっているわけではないことを考えると、その日の気分も何もないのだ。ガツンと目を覚ましたいからキリマンジャロとか、森にいるような気分になりたいから檜ということができるわけではない。

考えるに、私は、選びたいだけなのだ。寛容な感覚の持ち主としては、手元に置いてあるものであれば、何であろうと不満はない(バブの例外はあるけど)。違いもそこまでわからない。

だけど、毎日、同じものしか「選べない」のは嫌なのだ選択のある生活がしたいのだ。私たちは日々、膨大な選択をしていて、その一つ一つに意思決定があり、認知的なエネルギーを使うわけだから、そういった選択を少なくする方がよいという考え方もある。私もそう思う側の人間だ

にもかかわらず、違いもよくわかっていないものを、わざわざ選択するような生活を好むのはなぜだろうと考えた。

考えついたのは「自分が選べる生活」というのは言い換えると自分でコントロールしている生活とも言える。それっぽい言葉で言うと「自己統制感」(←こういう言い方は一般的ではないかも)とか「自己効力感」のあたりのことなのかもしれない。自分で自分の生活をコントロールできるのは快だろうし、何かを強いられる生活は不快だろう。

コーヒーを選ぶことで、自分が自分の人生をコントロールしているなんてことを毎朝、意識することはない。ただ、1種類のコーヒーだけというのはある意味では選択の余地がない生活、モカを強いられる生活とも言える(笑)何であろうと、私が決めたものを毎日飲む、それがコントロールするということと、意識のふか〜いところでわかっているような、いないような…

違いもわからないのに、詰め合わせやアソートを好むのは、選択できる生活を作りたいからなのかもしれない

*冒頭の写真は「プロ仕様(高い)」か「かわいい」の2択で選べなかったハンドクリームの写真

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駄々こね太/ Essayist
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