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【読書メモ】三訂版 アサーション・トレーニング: さわやかな〈自己表現〉のために
1. 読もうと思ったきっかけ
少しおおげさな言い方になるけれど、私の人生は自分の気持ち、考え等を積極的に主張できてこなかったと思っている。しないことが良いことだと思う部分もあったり、しないことで居場所を作る、自分の良さを出す的なことをしてきたと思っている。ただ、そのやり方がうまくいってると思う一方で、苦しんできたり、つまずくこともあったんじゃないかと思っている。そのあたりの問題意識から、どうやって自分の言いたことを言うのか、そこの答えを見つけたいと思いアサーション・トレーニングについて知りたくなった。
2. 全体の感想
読後、もやっと感が残る。
例で対峙する相手の多くがアサーティブな人な印象(初手は問題があるのだけど、こちらがアサーティブに接することで、わかってもらえるという展開)これが、いささか理想的すぎる気がした。
後述する3章のアサーションの権利での、「権利」と「義務」の言葉の使い方がどうにもわからない。私は権利というのは、そこに少なからず利益(メリット)があって、それを享受することが認められているこという解釈なのだけど、何度読んでもそれが利益に感じられず、それは義務と言うべきでないかと思って、最後まで引っかかった。
帯に基礎テキストと書いてあるんだけど図表などがなかった。またタイトルはトレーニングが含まれているものの、トレーニングの内容の具体例はほぼ触れられていない。
よこみねさやかさんのインスタの話
話が飛ぶが、
アサーション権に関しては、イラストレーターのよこみねさやかさんのInstagramにあるポストが私としてははっとさせられたので、そのことを少し書いておきたい。
今日(11/27)のポストで、娘さん(たぶん5歳)がわがままを言って、いつもはやさしいパパから怒られ、一連のことを謝りにいくのだけど、その時に娘さんが
「パパがすごい大きな声で怒ったの怖くて、いやだったからそれはごめんなさいしてくれないとなかなおりできない」
という話がかわいらしいイラストともに書かれていた。
私はこれを見て、あ〜これこそ、アサーション権だよなと思った。私が子どもの時、こんなことはできなかったと思う。私がこれを子どもの時に言ってたら、父から「生意気なこと言って、それなら出ていけ!」って言われてたと思う(笑)
大人になった今でも、自分に非がある(可能性がある)のだとしたら、相手の言い方が嫌だから、その点は謝ってほしいとは言えない。
そういう意味で、私はアサーション権があることを知らなかったんだなとは思った。
自分は子どもがいないので、わからないが、最近のパパ・ママはこういう育て方をしているんだとしたら、まさにアサーション・トレーニングが育児に取り入れられているんだなと思う。むしろそれを知りたいと思った。
以下、本文を読んでのメモと疑問点を書いているが、引用部も私が要約しているので、正確に引用しているわけではないことに注意。
3.メモと疑問点
第1章:アサーションとは
表現の仕方には3通りある。
非主張的自己表現:言いたいことが言えない、我慢する(自分は二の次)
攻撃的自己表現:自分の意思や考えをはっきり伝えるが相手に配慮がない
アサーティブな自己表現:自分も相手も大切にする自己表現(自他尊重の自己表現)
アサーション、アサーティブは英語のassertion, assertive
なぜ、アサーションができないのか。
自分の気持ちが不明確
周囲や結果を気にし過ぎ
ものの見方がアサーティブではない
相手に賛成したほうが好かれる
先生は生徒より優れている
人を傷つけてはならない等
アサーションは人権だと知っているか?
言論の自由を守るための方法が「誰もが等しくアサーティブになってよい」
アサーションスキルを身につけているか
断る方法、人との会話の進め方等
非言語的要素がアサーティブであるか
姿勢、表情、声、気持ちの表し方、服装等
第2章 ものの見方・考え方とアサーション
この章として言いたいことは、自分が依拠する価値観、考え方がアサーティブであることを阻害する場合もあるから、自分を支える考え方、価値観を理解し、それは他者と違っていたとしても、「間違い」だと反応しないことが大事。
例えば、「人を(心理的に)傷つけてはいけない」と考える人は非主張的になる可能性があり、他者に対してこの考え方を適用すると周りの人の言動に厳しくなるかもしれない。
第3章 人権としてのアサーション
日常生活で戸惑うことは多い。「依頼を断ってもいいだろうか」とか「ここで自分の思ったことを言うと、相手は気分を害するだろうか」と躊躇することは数多い。
医者に対して、薬の効用などを根掘り葉掘り聞くことなどはしにくい。医者に嫌な思いをさせると、きちんと診てもらえなくなるかもしれない。
親友にお金を貸してくれてと言われて断りづらい等
アサーションの技法と考え方の発祥の地は北米で、1950年台に行動療法と呼ばれる心理療法の中で開発され、その理論と方法が、現在のアサーション・トレーニングの基礎となっている。
人種、民族、性、文化の違いの差別の中で、言動を圧迫されてきた人たちの言動が拡大されていく過程の中で、自己表現に自信がない人々に自信をもたらし、有効な対応法としてアサーションへの関心が高まった。現代では、面接試験、職場でのコミュニケーション、特に看護職、福祉職、介護職、教師、カウンセラー、医師といった自分を犠牲にして、他者を優先しがちな人にもアサーションの必要性が高まってきている。
基本的なアサーション権
私たちは、誰からも尊重され、大切にしてもらう権利がある。
誰でも欲求をもってもよく、その欲求を大切にしてもらいたいと思ってよい。自分の希望を述べて、依頼をしてもよく、自分の意見をもち、それを表現してもよい。
人権はあなたも相手も同等に持っている。葛藤が起こる可能性はある。互いに希望を述べ合う権利を大切にし、互いに理解し合い、歩み寄ろうとする努力も必要私たちは誰もが、他人の期待に応えるかどうかなど、自分の行動を決め、それを表現し、その結果について責任をもつ権利がある。
あなたは自分自身についての最終的判断権をもっているということ。自分がどんなふうに感じ、どう考え、どんな行動をとるかについて、決めたり、判断したりしてよいのであり、その結果について、責任を取ることができる
例えば、
仕事が終わったら真っ直ぐ家に帰って、家族との時間を過ごそうと考えていたら、同僚に飲んで帰ろうと声をかけられた。「今日は帰りたい」」と言ったが、さらに誘われた。
あなたはその時どうするか。行動を決定したあと、そのことについて後悔したり、後味の悪い思いをしたりしないか。家族への言い訳や同僚の気持ちなどを考えると落ち着かなくなることがある。これは自分の決断に責任を取っていないことになる。同僚に断るにせよ、付き合うにせよ、家族に理解をしてもらう責任、同僚が気を悪くしないように配慮して断るのもあなたの責任においてすればいいのです。
今回、読んでいて最もわからなかったポイントはここだった。私がアサーション・トレーニングに期待していたのは、気を悪くしないように断ることや、家族に理解してもらう言い方だったのに、その結果については自分で責任を負える、その権利があると書かれている。
まず、これは「権利」というのだろうか。私の感覚で「義務」のほうがしっくりくる。
責任を持てなくて権利が侵害されることがあるということなのだろうか。
続けて、以下のようなことが書いてある。
相手ができないから、あなたにやってもらいたいと思っているから、という理由だけで、あなたがそれをしなければならないということはありません。あなたがしようと思えばやればいいし、自分で決めたのですから、できる限りでそのことに責任をとればいいのです。自分で決めたことには、責任を取らなければならないのではなく、取ることができると思ってみましょう。
義務(責任をとらなければならない)を権利(取ることができる)としたところで何がどう違うのか判然としなかった。その権利がアサーション権としてあったとして何になるか、最終的にわからなかった。
3. 私たちは誰でも過ちをし、それに責任を持つ権利がある。
4. 私たちには、支払いに見合ったものを得る権利がある。
5. 私たちには、自己主張しない権利もある。
第4章 アサーティブな言語表現
課題解決のためのアサーション
課題解決のアサーションをするときの台詞作りのステップ
DESC法
D(describe)=描写する
E(express, explain, empathize):表現する、説明する、共感する
S(specify)=特定の提案をする
C(choose)=選択する
まずは事実を述べ(D)、次に自分の主観的気持ちを伝えたり、説明したり、相手に共感する、相手の望む行動、解決策、妥協案などを提案する(E)。具体的、現実的で、小さな行動の変化について、明確に提案(S)。公的的、否定的結果を考えたり、想像したりして、その両方の結果に対して自分にはどのような行動の選択肢があるかをしめす。選択時は具体的で、実行可能であり、相手を脅かすものにならないように注意する。
人間関係を形成し、維持するためのアサーション
挨拶をする
自己紹介をする
相手の名前を呼ぶ
質問をする
自分の意見を言う
話をする
第5章 言語以外のアサーション
視覚的なものと聴覚的なものがある。加えて文化的要素もある(例:握手の仕方)
感情に善悪はない。感情表現は言語的表現と非言語的表現を一致させる必要がある。
怒りとアサーション
怒りの程度は3つに分けられる。
・マイルドな怒り:不快だ、同意できない、いやだという気持ち
・中程度の怒り:腹立たしい、イライラする、反対だ、煩わしい
・最も強度の怒り:頭にくる、怒鳴る、カッカする、うるさい、ぶん殴ってやりたいなどの激怒の気持ち
できれば怒りの程度がマイルドな時に表現すれば、怒りがたまることを避けることができる
第6章 アサーション・トレーニングの実際
具体的なトレーニングの内容ではなく様々な現場でのアサーショントレーニングの目的と受講者の感想が書かれている。
より深い理解、トレーニングを受けたい場合は専門性の高いプログラムを受ける必要がある。
第7章 むすびに代えて〜21世紀のアサーション
多様性や協働がより求められる社会の中でアサーションは必要である。
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