ぷよぷよの生みの親はだれだ

BS-TBS『X年後の関係者たち』のぷよぷよ回(2024年6月10日(月)放送)。
「ぷよぷよ」最初の開発者の米光一成、セガに権利が委譲されたあと「ぷよぷよ」を育てた細山田水紀さん、「ぷよ大会」を運営した正廣康伸さん、当時のゲームセンターでの「ぷよぷよ」の様子を知る髙橋哲也さんと、現場の人たちが一堂に会し、VTRで仁井谷社長もトークしている貴重な映像。

現場にいた人たちから、「フェアで面白かった」「安心安全確実大爆笑だよ」と好評です。

こういった映像で、フェア、安心安全というリアクションは珍しいと思うけど、それほど、いままでの情報がアンフェアで不安だったか、ということでしょう。

集英社オンラインの仁井谷社長の発言で、
“『テトリス』が売れて、『コラムス』が売れて、じゃあ、ちょっとウチでも“落ちゲー”を作りたいなと思っていたら、なんとなく『ぷよぷよ』ができて、ヒットしたんですよ”
として片付けられていたところが、たっぷり語られているわけです。

ぷよぷよの開発の現場を知らない社長からすれば、そりゃ「なんとなく『ぷよぷよ』ができ」たのでしょう。
米光が3日休んでうなるほど悩んでいたことも知らないし、プログラマーと何度となく操作方法を試行錯誤したことも知らないわけだから、「なんとなくできた」というのは素直な言葉だと思います。それをアクセス狙いのためか「生みの親」としちゃうから、フェアじゃない、安心でない記事になっちゃうわけです。


・「ぷよぷよの生みの親はだれか」ということ
・「どーみのす」
・「水道管II」と「ゴルビーのパイプライン大作戦」
・「どーみのす」をおもしろくする会議
・「ぷよぷよ」のはじまり
・魔導物語キャラが出てきた理由
*訂正を追記(2018/08/21)
・「ぷよぷよ」の生みの親
・おもしろいと判った理由
・メガドラ版クレジットの秘密
・やねうらおさん原案者説
・「ぷよぷよ」得点計算の思想
・『ゲンロン8 特集ゲームの時代』の間違いと問題点(2018年6月20日)
・隠しクレジットについて(2018年6月27日)
・魔導物語キャラが出てきた理由に訂正を追記(2018年7月27日)

ぷよぷよに関しては、以下の記事もあります。


「ぷよぷよの生みの親はだれか」ということ

ツイッターで、「ぷよぷよの生みの親はだれだ」論争が勃発していて、けっこう記憶違いのニセ情報が流れていたので(こういうニセ情報が本当のことのように定着していくとゲームアーカイブ的にも困るのだよ)、「ぷよぷよの生みの親はだれか」ということを書いておく。

仁井谷社長は社長でプロデューサーだ。初代「ぷよぷよ」の企画監督は米光一成。ルール、キャラクター、仕組み、演出、物語などを生み出したのは、米光やそのときの開発メンバー。
メディアの姿勢によるのだが、いかにも仁井谷社長が企画開発したかのように誤報するところが多い(おそらく仁井谷さんはそのように語ってなくとも、だ)。テレビなどは「ぷよぷよ大ヒットで儲ける。が、転落して90億の借金を抱える」という物語が好きで、そこを使いたいために、仁井谷社長が「ぷよぷよ」を作ったかのように扱う。
これ、考えてみるとそうとうおかしい。『犬神家の一族』を書いた人として、横溝正史ではなく角川社長が出てくるようなものだ。
さすがに、ちゃんとしたゲームメディアは、社長と開発者が違うことは理解しているので、そのようなことはやらないだろう。

「ぷよぷよ」が誕生する経緯、とくに会社内の動きを、記録として書いておく。

「どーみのす」

「ぷよぷよ」が作られることになったきっかけは「どーみのす」だ。
コンパイルは当時、「もものきはうす」という別名義で18禁ゲームを作るチームがいた。
そこで「どーみのす」という落ちゲーが作られようとしていた。

ぼくがプレイしたバージョンは、こんなルールだった。
2組のサイコロが落ちてきて、足して7(もしかしたら足して10だったかも)になると消える。
同じ数がつながっても消えたりしていたかもしれない。

これが「おもしろくないので、どうにかできないか」という会議に、米光は参加した。

「水道管II」と「ゴルビーのパイプライン大作戦」

その前に「どーみのす」がどのように誕生したのか。
「どーみのす」が“当時『DiscStation』に掲載されたユーザー投稿ゲームに着想を得て”作られたという情報が流れている。

『DiscStation』に掲載されたユーザー投稿ゲームというのは、水道管IIという落ちゲーのこと。
『MSX Fan』への投稿プログラムで、それを『DiscStation』に掲載したものだ。
水道管のパネルが降ってきて、これを配置していく。
左右に壁があって、壁から壁へパイプをうまくつなげると消える。
つなげたパイプが全部消えるので、けっこうゴッソリ消えるのが爽快だった。
広報の人がハマっていて、めちゃくちゃ遊んでいた。
それを社長が見て、商品化しようということで、リリースしたのが『ゴルビーのパイプライン大作戦』だ。社長の発案で、ゴルバチョフをキャラクターとして使ったのには驚いた。

このころコンパイルは落ちゲーを作ろうとしていた。そのなかでの『ゴルビーのパイプライン大作戦』であり、もう1本が「どーみのす」だ。落ちゲーという共通点はあるが、違うプロジェクトだ。これをもって「着想を得て」というのはなかなか強引だ。
*「ユーザーといっしょにゲームをつくる」というコンセプトが『ディスクステーション』にあったため、広報的な戦略で、いろんなゲームが『ディスクステーション』をきっかけにしているという物語を作って語っているのだ。あんまり踊らされないようにねー。
*これを読んで、広報の人が「水道管II」は落ちゲーじゃなかったとツイートしたので、「あれ? 俺の記憶違い」と思って調べたら、プレイ動画がある。「水道管II」 for MSX(youtube) 記憶違いじゃなかった。動画を教えてあげると、その後にプレイした水道管を使ったパズルゲームと混乱していたそうだ。あれだけハマってたのに! 人の記憶はすり替わっちゃうから怖い。

「どーみのす」をおもしろくする会議

さて、「どーみのす」をおもしろくする会議。
そもそも、米光はその会議メンバーに含まれてなかったが、「喫茶店で会議をする」という話を聞いて、「喫茶店へ行きたい」といいうことで参加した。
どうすべきかなーみたいな話が続いた。
いろいろな案が出たが、案だけではどうにもならん。
そもそもスタッフのモチベーションが落ちていてうんぬん。
ということになり、その場で、米光がどうにかしろという話になってしまった。
その会議では、米光がいちばん若かったためである。

「ぷよぷよ」のはじまり

もとのプロジェクトがすでにスケジュールオーバーしていたため、手が足りなかった。
グラフィッカーは、すでに新しいプロジェクトに参加している。
プログラマーも、もう次のプロジェクトに入らなければならない。

プログラマーの田中くんには、「放課後のかんじで1時間で修正して、それを米光がテストプレイして、何度か修正いれるぐらいだから」とお願いした。
結局、「放課後のかんじで」は当たっていたが、「何度か修正」が「何十回も修正」になるとは、この時点では誰も知るよしはなし。

そのときに「同じ落ちゲーだけど、まったく違うものにする」ということを話した。
というのも、うまくいかないプロジェクトをやっていたため制作モチベーションがすっかり失われていたのだ。
だから、「まったく違うもの」にしないと、やる気は回復できないと判断した。
こういうときに、「プログラマーのやる気をあげる」っていのは、とても大切。

そもそもぼく自身も、テトリスをリスペクトするがテトリスと同じものになっては意味がないと思ってやっていた。
このあたりの、どういう発想をして作ったかというのは、講義や講演やワークショップで話してるので省略。

なので、正直なところ「どーみのす」と同じところは「落ちゲー」というジャンル的な基本だけで、「ぷよぷよ」は、どちらかといえば「テトリス」をリスペクトして作られた。もちろん「テトリス」リスペクト作品である「コラムス」や「KLAX」もリスペクトしている。

魔導物語キャラが出てきた理由

というわけで、グラフィックスはすべて変えることになる。
だが、「どーみのす」のグラフィッカーは使えない。
他のグラフィッカーも使えない。
スケジュールが空いてないのだ。

新たにキャラクターデザインするのは、時間も手も足りない。

というわけで、以前つくったRPG「魔導物語」で組んだグラフィッカーの氷樹むうさんにお願いすることになる。
氷樹むうは、めちゃくちゃ上手いうえに、速い。
だから、「魔導物語」にでた「ぷよぷよ」という一番シンプルなキャラをブロックにすれば、あっという間に描いてもらえる。「ぷよぷよを、この大きさで描いて色を変えてもらうだけでいいので」とお願いして、ちょっとだけ時間をとってもらった。結局、あれこれ、カーバンクルとか、タイトルなども描いてもらった。

「魔導物語」のキャラと世界観をそのまま持ってきた理由のひとつは、新たな世界観やキャラを作る時間が足りなかったというスケジュールの問題だったのだ。

まあ、いろいろあって、マシン的な制限とスケジュールの問題で、いくつかのアイデアは実現できなかったが、ファミコンディスク版とMSX版「ぷよぷよ」ができあがる。

*訂正:2018年7月27日、ぷよぷよを一緒に作ったプログラマーの貢くんと広島でばったり(奇跡か!)会って、デザイナーのこうもとくんも混ざって呑んだ。そこで、記憶違いを指摘された。タイトル画面を描いたのが氷樹むうさんで、ゲーム中のぷよ等はけみさん、村長さわさんだったとのこと。

「ぷよぷよ」の生みの親

で。
仁井谷正充社長が、「ぷよぷよの生みの親」としてテレビにときどき登場するが、ぼくはこれに異論はない。

仁井谷正充社長は、わりとそのへんはフェアだと思う。
以前、テレビ番組に出ていたとき、芸人さんと居酒屋で話すシーンがあった。
そこで芸人さんが「ぷよぷよを考えた人ですのに」みたいなことを言ったとき、
「開発じゃなくて、社長ね」という意味の受け答えをしていた。
だけど、最後まで芸人さんは、その差を受け取れず、「考えた」「作った」と言っていた。
これは、まあ、TV番組的にはしょうがないところ。
作品を監督した人と、その上の社長とか、ディレクター、プロデューサーといった細かい差など、テレビを見ている大勢の人にとってはどうでもいいことなのだ。
あの大ヒットゲームぷよぷよで大儲けした人が、イッキに貧乏になって、でもがんばってるよ」というストーリーが大切なのであって。
だから、社長が、ちゃんと説明していても、テレビだとそこはカットされている可能性は高い。

「ぷよぷよ」を開発していたとき、その会社コンパイルの社長は仁井谷正充さんだ(というか、まあ、コンパイルの社長は仁井谷さんしかいない)。
コンパイルという会社がなければ、米光はゲーム開発をしていないだろうし、落ちゲーを作ってないだろう。
作品を生み出した会社の社長が「生みの親」を名乗るのはまあふつうのことだと思う。
もちろん、「ぷよぷよ」を企画監督した米光も、「ぷよぷよの生みの親」「ぷよぷよの開発者」と紹介されることがある。現場では「企画監督」したのが米光で、社長は仁井谷さんで、プログラマーやグラフィッカーやサウンドを作る人がいて、それでできあがったのだ、ということを説明しても、そういった細かい説明は省略されることが多いのよ。
セガに権利が移ってからも、「ぷよぷよ」は生まれ変わり、生き続けている。
生みの親や、育ての親も、おそらく何人、何十人も増えていると思うし、そうやって長く遊ばれていることは、ぼくにとってとても嬉しいことだ。

質問もあれば

以上。
あと、なんかあるかな。
あとは、めちゃくちゃ「ぷよぷよ」のファンの人に向けて、細かいことを書こうと思うので有料コーナーにする。微妙な問題やマニアックなことは、てきとうに流し読みする人によって炎上する可能性があって、それを防ぐには有料にしちゃえばいいんだということを最近発見したから。
質問もあれば答えます。

有料部分の見出し

・おもしろいと判った理由
・メガドラ版クレジットの秘密
・やねうらおさん原案者説
・「ぷよぷよ」得点計算の思想
・『ゲンロン8 特集ゲームの時代』の間違いと問題点
・隠しクレジットについて

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