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「マンチェスターバイザシー」(2016年、アメリカ)


今年は死が身近にあった年で、春にじいちゃんとお別れし、秋にはまた大事な人とお別れしましたが、そんなときにも思い出すのはこれまで見た映画だったりしました。何かしらの悲しみの只中にいるときに必ず思いだすのは、この映画の「乗り越えられないんだ」というセリフです。

自分の不注意で我が子を火事で亡くし、そのあと妻とは離婚し、自分を責めながら一人で生きている主人公。突然の兄の死と彼の遺言によって、悲劇のあった街に一旦戻ることになるけれど、兄の息子と一緒にその街に住む、ということを決断できない。兄の息子に何故自分と一緒にこの街に住めないのか、と問われて何とか吐き出すように言うセリフです。

「乗り越えられないんだ」

たくさんの物語で、哀しいことが起こったり、事件が起きたりして、多くの物語の中のキャラクター達は起き上がり、立ち直ります。(作品の良し悪しはあるとしても)その立ち直る姿に勇気をもらえることもあるし、頑張ろうという気持ちになることもありますが、悲劇の只中にいる自分は立ち上がることができなくて、結局自分は物語の主人公ではないのだから、と悲観してしまう時もあります。

でもこの映画では、悲劇から立ち直れない。乗り越えられない中で、その出来事と向き合い、自分の人生を歩む。まったく復活の兆しや立ち直って生きていく空気感はないものの、この映画は優しい映画だったのだな、と改めて今年は思いました。

ついこの間、色々と落ち着いたあとにどうしてもこの映画を見返したくなって、「うん、やっぱり乗り越えられないよなぁ」と自分も呟いたのでした。


「乗り越えられないんだ」

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