おいしい歳時(8月)

拝啓

甘木 様


 8月です。夏が来ました。
 と、書き出して、出遅れて残暑の季節になりました。

 「熱中症に注意」、「暑い嫌だ暑い早く秋が来てほしい」、なんて悪く言われがちな夏ですが、自分は中高水泳部で夏には外で毎日泳いでいたので、今でも夏になると身体が元気になって泳ぎたくなります。夏、というと昔なじみの気のいいやつ、といった印象です。もしかすると前世は河童だったのかもしれません。今でも週一ぐらいで泳いでいますが、身体が乾くと体調が悪くなるようです。やっぱり前世は河童なのでしょうか。


 僕は生まれてから20歳ぐらいまで、父の働く会社の社宅に家族と住んでいました。社宅といっても、いわゆる団地のようなところで、狭いリビングとキッチン、他に三つの部屋がある天井の低いこじんまりした家でした。そこに両親と兄と4人で住んでいましたから、僕ら兄弟が大きくなってからは狭い家に家族4人がぎゅうぎゅう詰まっていたような塩梅でした。小学校低学年の頃は家にまだクーラーがなくて、扇風機と共に生きていました。つまり、家中が暑かった。暑い夏に夏野菜を食べるのは理にかなっているそうで、母は夏野菜を多く使った料理をよくつくりましたが、夏には素麺が多かったように思います。うちは男兄弟でよく食べましたから、大きなざるに山盛りに素麺が盛られていて、たぶん8把から10杷ぐらいあったんじゃないかと思います。別皿にはハム・きゅうり・みょうが・薄焼き卵の細切りがこんもり盛られていて、すり下ろしたての生姜も添えられました。母の調子がいいときには、一口大の揚げ焼きされた茄子もありました。油を吸った茄子をめんつゆにつけて食べると暴力的なおいしさです。キリッと冷やしためんつゆに生卵を落として、ハム・きゅうり・みょうが・薄焼き卵をがばっと入れます。生姜を少し溶かして、山盛りの素麵をどぶんとつけて、薬味と一緒に頬張ります。たまらない夏の味です。今思えばあの頃のごはんは常に莫大な量でしたが、僕たち兄弟が食べ盛りのころは食べても食べても食べられました。男兄弟の思春期って大体そうなんじゃないかと思います。


 小学校高学年になって、はじめて我が家にクーラーが登場しました。設置されたのは、リビングだけでしたから、夏休みの昼下がりにはリビングにクーラーをつけて、カーテンを引いて薄暗くして、兄と僕と母とで並んで昼寝をしたりしました。夜には、部屋の前ごとに扇風機を置いて各部屋に冷気を送って眠りました。狭い家でしたから1台のクーラーで家族みんなが快適に過ごせました。僕が20歳になった年、親父が新しく一軒家を建てて、僕たち家族は団地のような社宅を出て、ほどなくして僕は社会人になり実家をでました。今でもよく山盛りの素麺とか夏休みの昼寝とか前の実家のことをよく思い出します。今は新しい自分の家族があるから、実家にもなかなか帰らないし、そもそも長く暮らした実家には二度と戻れないし、母の手料理も長らく食べていません。なぜ母の料理ってあんなに美味しいのでしょうね。話し言葉でいうなら、なんでおかんの作るメシってあんなうまいんやろか。

 まだまだ暑い日が続きます。皆様、体調にはお気をつけて。


敬具

夜な夜な文庫

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