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「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」の監督は「ハングオーバー」の監督


「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」をみた。
友人のSNSからは、「前作があんな見られ方をしたから、ああいった作りになったのかな…」というような言葉。

わかる。
良くも悪くも、映画を「わかりやすく」したのだよな。
さてまずは、トレイラーをどうぞ。
映画を見てない方はトレイラーを見て、映画をみてから、文章をお読みください!
大したネタバレはないですがね!





「フォリ・ア・ドゥ」という言葉はフランス語で、「同じ妄想を他者と共有する精神の病」らしい。実際にある病であり、映画の中でももちろん大きな主題になる。




 前作で曖昧にされることによって話題になったのは、ジョーカーが行った犯罪行為が本当に起きたのか、どこまでが真実でどこまでが虚妄なのか、だった。しかしながら、その犯罪そのものが起きたか起きていないかにかかわらず、確かに発生した出来事としてしまって他の多くの他者がその妄想狂気である出来事を共有する。また、ジョーカーが1人でなくてもよいのなら、別のジョーカーが起こした事件がまた多くの他者と共有され、悪魔の連鎖のごとくジョーカーという存在と悪意が共有拡散増殖伝播されつづける。アーサー・フレックがそれら殺人などをやったのかやっていないのかは最早問題ではなく、ジョーカーという悪意だけが世界に蔓延するーー




 この部分を中心に据えてくれた映画をみたかったかも。言葉を変えると、フォリ・ア・ドゥを掘り下げる映画が見たかった。でも、監督がその方向を考えていないはずもなく、今回の映画はアーサー・フレックが主人公であり、アーサー・フレックを中心に据えて描いた故のあの内容であり、あの結末である。だからこそ、ホアキン・フェニックスの演技が炸裂していたのは間違いがない。

 第一作目のジョーカーの「わかりにくさ」をすっきり晴れ晴れとわかりやすくするのではなく、よりディープで複雑で気持ちの良いわかりにくさを追求する映画にできたらよかったなぁ。もしくはジョーカーが酔っ払って起きたら歯がなくて、部屋に虎がいて、結婚予定の友達が消えてる、みたいな。




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