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映画好きたちの夜宴
この間、ひょんなことから映画を年間400本みる方と、それから映画好きな人々と酒を飲む機会を得た。年間400本見るその方は映画好きであり、映画キチであり、映画ラバーであり、紛う事なきシネフィルであった。自分は年間100本とか140本ぐらいが限界だから、単純に自分より4倍映画を見ている人だ。これはなかなかにすごい邂逅となったので少し書いておきたい。
まず、その方の映画を見ている幅が半端ない。
自分が見なかった日本映画、単館系のマニアックな映画の中でもよりマニアックなものなどなど。守備範囲が異常に広い。
話していて妙に嬉しかったのはどんな映画の話を振っても返ってくることだ。自分は映画が好きだけれど皆が皆そうではないから、自分が見た映画の話を普段できない自分のような人間にとってこれはかなりの快感である。この気持ちよさは、絶対に勝てないとわかっている相手に全力で挑む相撲とかレスリングに似ているのではないだろうか。全力でぶつかってもかならず応えてくれる嬉しさというのか。「本気を出してもいい相手だ…!」の喜び。単純にいえば自分の趣味を完全に理解する人がいる、ことか。
親方ぁぁぁ
それから、話していてなるほどーと思ったこと。
「自分は年間平均120本ぐらい見てると、マジでクソみたいな映画に毎年数本出会うんですが、400本見てたらどうですか?」
「ありますね、クソみたいな映画」
どれだけ映画を愛してその間口が広いといえども、クソな映画はクソなのだった!!
あと、個人的には究極、映画は無意味だと思ってるんだけど(生きるのは無意味だ、的な意味合い。賛否は問わない!)、映画というのは個人がどれだけ熱を持って見ても最終はその見た人の感想や思いしか残らないもので、それが百人百様あるだけ。そうなんだけど、別に無意味ってわかってるんだけど、映画ってのをどうしても見ちゃって、どうしても映画ってのが好きで、「あの映画もみた?よかったよねー」みたいな、映画を好きな皆んなでその話をワイワイやってるってのがどーにもいい空間だったなぁと。
最後にもう一つ。
映画好きな5人ぐらいで飲みながら話してたんだけれども、やっぱりそれぞれの守備範囲と好みがあって。「自分あの映画好きなんですよ!」という発言に対して「私はその辺りの映画チェックできてないなぁ」とか「俺はあの映画乗れなかったなぁ。だって展開が急すぎるもの」って返しがあってもお互い受け入れる。そこから「でもあの監督、だんだん良くなって来てますよね!」「それは確かにそうですね〜」みたいな。この互いを受け入れながら情報伝え合ってニヤニヤする感じ?わかるかなぁ
で、たまに、自分が好きな映画だと伝えたものの中に、どーもみんなが絶賛する映画があって。それが世間的にも大ヒットする作品だったり、映画好きに広く好かれる映画なんだろうなぁと。
人付き合いに似たところがあるけれど、その映画の良いところをみれるか、良いところをみられないぐらい何かが合わないか、そのあたりで個人の映画への評価が変わってくるのだなぁと。
良いところがない映画って滅多にないですものね!!滅多にね!!!
その晩、自分は早めに帰らなくてはいけなくて、いそいそと帰り支度をしながらシネフィルの方に「韓国映画の話をもう少ししたかったです。イ・チャンドンとかホン・サンスとか」と言って席を立った。
彼曰く、
「私、ホン・サンス大嫌いなんですよね!!」
その言葉がどこまでも気持ちよく。
個人的にはホン・サンスは嫌いなのに結構みてしまう不思議な監督なのだが。
あと6時間は話せる予感がしたある夜の話。
今回は千切れ千切れの文体になってしまった。
酒飲んでたから大事なこと覚えてないんだよなぁ。
夜