ウクライナ戦争、「もっと早くに停戦」はできたのか?
12/20(金)に論壇チャンネル「ことのは」で、細谷雄一先生との対談の後半が公開されました。前半は以下(参照用の年表もあり)から飛べるとおり無料公開でしたが、後半は有料会員限定で、リンクはこちら。
2022年の2月にロシアが侵攻して始まり、このまま続けばまもなく4年目に入ってしまうウクライナ戦争。「途中でやめる停戦の機会はなかったのか?」が、ずばり後半のテーマです。
一時は「停戦を勧めるのは親露派!」に染まった日本のSNSも、いまや様変わりが激しいようで……(ちなみにこの理屈、「話しあいを勧めるのも二次加害!」と同じですね)。
分岐点として、議論で採り上げるのは22年3月29日からトルコのイスタンブルで開かれた和平交渉。ロシア軍はキーウ攻略に失敗し撤退を始め、戦況がウクライナに有利なタイミングでした。
戦史として定評のある小泉悠氏の『ウクライナ戦争』(22年12月刊)でも、このとき高まった和平の機運はこう描かれています。
後に報じられたところでは、実際の和平案はウクライナにとって、さらに有利なものだった可能性があります。対談でも言及する、本年1月5日の共同通信の報道にはこうあります。
そうだったの? 侵攻以前の国境線まで回復できるなら(ただし、2014年に併合されたクリミアは別扱い)、これ以上の和平条件はないのでは。
なぜそれが流れたのか。イスタンブルでの和平案は有力な諸外国がウクライナの安全を保障し、もしロシアが再侵攻するなら「今度こそ」本気で防衛するという内容のため、ウクライナ単独では調印しても意味がありません。
ウクライナ側の交渉団を率いたアラハミヤが、後に証言したところでは――
ジョンソンのキーウ電撃訪問(西側の主要国で初)は、2022年の4月9日。当時はウクライナを鼓舞するものとして賞賛されましたが、実際にはそれが、同国の地獄の扉を開けたのかもしれません。
そもそもジョンソンは、EU離脱の強硬論者として名を上げ、首相の座を手にした人のはず。「英国は独自の道を行くから、欧州なんてどうでもいいよ」と掲げてきた政治家が、なぜウクライナに関しては突出して戦争にコミットし、「勝手にロシアと合意しないでね」と口を挟んだのか?
イギリス政治をいちばんのご専門とする細谷さんから、あまり報じられないジョンソンの実像と、英国史に照らしての考察が語られます。ぜひ、「ことのは」に入会しての視聴をご検討ください。
ご存じのとおり来月からは、和平に最大の影響力を持つ米国の指導者がトランプに替わり、それを見越した予備交渉も始まりました。先日のトランプ・マクロン(仏)・ゼレンスキーの3者協議に対しての、ロシア政府のコメントは以下のとおり。
長く忘れてきた過去が、消え去らずに戻ってこようとしている。歴史の書き直しが迫っています。
参考記事: