ダブスタを嫌悪した果てに、「シングル・スタンダード」の戦争が始まる
選挙直後から囁かれたとおり、米国は大統領・上院・下院をすべて共和党が押さえるトリプルレッドが決まった。2016年と異なり、トランプがハリスを総得票数で上回るのもほぼ確実で、実質4冠。非の打ちどころのない一方的な全面勝利である。
過疎地に住む人種偏見の強い白人といった、従来イメージされた「トランプ支持者」だけで、こうした結果が出せないことは明白だ。むしろ今回、共和党候補への白人の支持は微減しており、そこに希望を見出す議論もある。
圧勝の鍵を握ったのは、マイノリティの動向だ。たとえば、投票の前から話題になっていた「激戦州のアラブ系票」(ミシガン州ディアボーン)は、ハリスを嫌ってむしろトランプに流れたと、現地の指導者は語っている。
親イスラエル最強硬派のトランプに期待するなんて、騙されてる、と感じる人は多いだろう。しかし、他のマイノリティ(特にヒスパニック)に関しても、今回はトランプが得票を伸ばしたとする分析が多い。
これが意味するところは、米国に限らず世界にとって、とても大きい。ざっくり言うと、偽善で言い寄られるよりは、明白な悪の方がマシだと考える人が増え、「ダブスタな政治の終わり」が始まっているのだと思う。
「多様な人種や文化を尊重します☆」とか言ってる人に、自分のアイデンティティだけを切り捨てられるのは、耐えがたい。だったらむしろ、「オレ様の考えがすべてだ!」な暴君に踏みにじられるほうが、まだ楽だ。――という気持ちがわからない人は、端的に社会経験が足りない。
ダブスタ自体は、ダブル・スタンダード(二重基準)を略した日本のネットスラングだけど、米国でもハリスの敗戦責任を追及して「弱者に優しくと言いつつ、助けるのは『お仲間の少数派』だけで、いちばん貧しい人を見棄てたじゃないか!」といった声は、かなり強い。
これはもう、ごもっともと言うほかはない。なので例のごとく、来月の月刊誌あたりから、同じ論調をコピペして「正しい発言」をした気になるセンモンカが、この国でもわんさか出るだろう。
はっきり言っておこう。そんなことに今さら気づくのは遅いし、なによりその見方は浅い。
人間は、そもそも「ダブスタを生きる動物」なのだ。その自覚抜きに「ダブスタが悪かった」なんて言っても、それ自体が口先だけの、新たなダブスタになる。
なぜヒトはダブスタを生きるかというと、「身体と言語」の双方に跨って、矛盾を抱えながら暮らしているからである。そのことを、最初のトランプ当選についての分析も含む、『知性は死なない』(2018年)で前に書いた。
たとえばホームレスがあなたの家をノックして、「あんたら一家は贅沢しすぎだ。食事を一品ずつ抜けば、そのぶん俺が一食たべられる。そうしないのは偽善だ!」と言ったとする。理屈としては通っている。では、言語で説得されたあなたはふむふむと納得して、彼に奢ってあげるだろうか。
もちろん99.9%の人はそうせずに、警察を呼ぶ。いくら社会的な平等が大事でも、身体的な近接感が作り出す共同性(この場合は家庭)の内外で、ケアの多寡を使い分けるのは、誰もがやっていることだからだ。
この意味では言語と身体のダブスタを、私たちは日々に生きている。逆にいうと言語か身体か、片方の「シングル・スタンダード」に統一しようとしたくなったら、それは日常が壊れてヤバい世界に陥ることの徴候だ。
”The personal is the political” (個人的なことは政治的なこと)とは、ふだんは身体でのみ体験する自明な日常について、いちど言語を経由して考えなおそう、とする標語だった。その初心を忘れ、言語の論理で身体を圧殺するのが「政治的に正しい」と思い込むと、グロテスクなことになる。
狂っている(爆)。てか、恋人とも「意見の違い」を話しあえない人が、どうやって社会の分断を埋めるんだろう。米国人は民主主義ではないの?
トランプがポリコレを粉砕したぞ! と舞い上がる人をちょくちょく目にするが、ポリコレとは要は「言語で身体を制圧する」試みだった。そうしたシングル・スタンダードへの志向が、「オレ様の身体感覚だけが絶対だ!(言語とかイラネ)」とする180度逆のシングル・スタンダードに、今回カウンターパンチを食らって吹き飛んだ。
世界の各地で見られる原理主義の高まりも、「近代と伝統」「輸入と土着」のダブスタを、シングル化する運動として捉えればよくわかる。欧米に留学したりして、彼らに合わせましょうと唱えるインテリ人士が迫害に遭い、その地域に固有の論理を体現する、専制的な支配者が台頭してゆく。
だから就任後にトランプがプーチンと握手したとしても、それはトランプがアメリカにとっての「遅れてきたプーチン」だからであって、逆ではない。米国の潮流が世界に影響を広げるのではなくて、むしろ彼らこそが世界を追いかけている。アメリカは後進国だったのだ。
これから始まるというか、すでに始まっているのは、地域や集団により異なる「複数のシングル・スタンダード」の衝突であり、戦争だろう。
そうした深みに立つ議論だけが、未来の世界地図を照らしてゆく。国外の報道がネットでも即時に日本語で流通し、海外事情を「知る」だけなら専門家など必要としない現在、ものを書く人の仕事は「考える」ことの他にない。