橋迫瑞穂氏に「学問の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」
4月24日の正午過ぎに行った前回の投稿に対し、記事の中で謝罪を求めた橋迫瑞穂氏から、同日夕刻に以下のような回答があった。
同記事で紹介した橋迫氏のツイートによれば、彼女は「去年からツイッターほどほどしか見てないんだ!おかげで食欲もまして肌も綺麗になったよ!」とのことだったが、にもかかわらず半日で応答されたのは、拙稿の批判をそれだけ重大に受けとめられたということだろう。その点に関して、まずは敬意を表したい。
しかし率直に言って、この謝罪は奇妙である。
私は記事の中で「これまでの中傷すべてを撤回し謝罪する」ことを求めたが、橋迫氏は上記のとおり、「『與那覇は精神科の利用者である以上、他人を批判する記事を書く資格はない』という趣旨のツイートは一切行っておりません」と述べている。
つまり橋迫氏によれば、私の記事は彼女に対して、実際には行っていない行為を行ったと認めろと強要する「でっちあげ」を目論んでいることになるようだ。それでは同記事のヘッダー写真として掲げ文中にもリンクを張った、以下の橋迫氏自身の発言は、いったいなにを主張していたのだろうか。
このツイートが私を批判の対象としていることは、「與那覇さんに対するぬるい免責がまかり通ってる」云々との表記から明白だ。それに続けて現に彼女は、「メンタルの療養中に、他者を名指しで批判するような記事を書かせる方にも責任がある」、つまり與那覇には他者を批判する記事を書かせるなと明言しているではないか。
あるいは「メンタルの療養中」という表現は、そもそも言論活動が不可能なくらい重篤な症状を指すもので、精神科の利用自体を揶揄してはいなかった、というのが橋迫氏の弁明なのだろうか?
なるほど、そうした主張もあり得るのかもしれない。それでは、あまり好みでないが「統計とエビデンス」に基づいて、彼女の発言に至る時期の両者の言論活動を比較してみよう。すなわち、私が「鬱」から復帰して初の著作を刊行した2018年4月から、彼女が上記の発言を行った21年11月までの実績を対照するとこうなる。
これでも橋迫氏は、「私も同じ双極性障害2型だが、私には與那覇を批判するツイートをする資格があるのに対し、與那覇は『他者を名指しで批判するような記事』を書いてよい病状にはない」と主張するのだろうか?
先に引用した彼女の「謝罪ツイート」が、私が求めた内容を満たしていないことは、上記によって明白であるから、私としては受理しかねる。
本当のところを言うと、個人的には、意見が異なり論争している相手にも「その人なりに頭を下げづらい部分」があるのだから、そこは大目に見て、謝罪の意を示した以上は受け入れてあげてもよいではないか、という気持ちはないでもない。
というか私としては一貫して、そうした寛容の精神で万事に臨んできたのだが、どうも最近はそのような姿勢こそが「あるべき大人の振る舞いではないだろうか?」と発言すると、
のように、非難されるらしいのである。
「鬱」の前に2回会ったきりの、日本史でも分野違いの研究者が、鍵付きのプライベートなアカウントであまり上品でないクダを巻いていたことがなぜかパブリックな場で非難される事態が生じるまでは、世の中がそんなことになっているとはついぞ気づいていなかった。
私自身、そうした学問の「進歩」や「目覚め」(woke)について、ここ何年か学ばせていただいたので、ぜひ今回は、まぁ謝ったんだから多少は譲ってあげてもいいではないの、ではなく、当事者かつ被害者として一切のトーンポリシングを許さない態度を実践してみたいと考える。
したがって、橋迫氏が選べる途は、以下の2つである。
「『與那覇は精神科の利用者である以上、他人を批判する記事を書く資格はない』という趣旨のツイートは一切行っておりません」なる弁明を、中傷の被害者である私は受け入れない。ただし改めて自身がそうしたツイートをした事実を留保なく認め、釈明なしの謝罪を行うなら、前回の記事のとおり、私としては一切を打ち止めにする。
もちろん、そうしない自由も橋迫氏にはある。その場合は220万円の賠償を争う民事訴訟の法廷でお目にかかることになりそうだが、私としては手続きを公平に進めるため、提訴に先んじて、
ことにする。なお、私の抗議が橋迫氏自身に届いていることは明白であるので、事前に職場気付の内容証明を本人に送る手続きは省略する。
私には、学者が重大な問題を扱うに際して「ゆっくり考えずにお答えください」のように、返答を催促する趣味はない。学問にふさわしい時間の流れ方は、「きっちりねっちゃりずっとXに入り浸って」行うレスバトルとは違うからだ。
期限は前回の記事と同じく、本年の大型連休が明けるまでとするので、学問の本義である熟慮と黙考の上で、お返事をいただけるなら幸いである。
(ヘッダー写真は、吉野作造記念館より。昔の学者の論考のタイトルって格好いいの多いですよね。大正時代におけるまさにwokeでした)