冷戦ボードゲームと歴史のIf
『ボードゲームで社会が変わる』(共著)の刊行を記念して、先週、寄稿していただいている辻田真佐憲さんのチャンネルで『トワイライト・ストラグル』の対戦配信をしました。米国とソ連に分かれて冷戦史を追体験する2人用ゲームなのですが、後で調べて思うところがあったので、以下メモ。
放送でも紹介したとおり、『トワ・スト』をアプリ版で買い、さらに有料オプションも追加購入すると、「Turn Zero」を遊ぶことができる(内容はこちらの日本語サイトが詳しい)。サイコロ勝負でゲームの初期設定を書き換える前哨戦で、要は「もし冷戦が、現実と違う条件で始まっていたら」という歴史のIf である。
日本でも「太平洋戦争、こうすれば避けられた/勝てた」といった歴史のIf が好きな人は多く、そこから社会の歴史感覚のようなものも見えてくる。別稿で書いたとおり『トワ・スト』は米国目線のゲームなので、この「Turn Zero」は、(反共的という意味で)保守的なアメリカ人はどういう「If」を抱きながら普段生きているのか、を察する好素材でもある。
最終的なダイスの目が「小さいほどソ連、大きいほど米国に有利」になるよう歴史が改変されるのだが、6つあるテーマから「VJ Day」(対日戦勝記念日)を採り上げよう。つまり、太平洋戦争を「どのように終わらせたか」に関するIf である。
2番目にソ連に有利な、ダイスの目が「2-3」の場合の効果はこうだ(ちなみに「1」だと、ソ連が1945年の初頭から対日参戦して、日本にまで進出する)。
「委員会」とはソ連が後援して組織させた人民委員会のことだと思うが、わざと " " を附してあるのは、「共産主義者がでっち上げた機関で、真の民意を代表してはいない」という含みだろう。ベトナム戦争の当時は、ベトミンと書くかベトコンと書くかで論者の左右がわかったとされるけど、ちょっとそれを思い出させるものがある。
衝撃的なのは、最も米国側に有利な「6」のケースだ。
reins in surrogates という英語をすぐ訳せる人は多くないと思うけど、検索でヒットする近日の用例としては、たとえばこうした記事がある。要は、北朝鮮の金日成政権などというのは、今のプーチンにとってのアサド(シリア)みたいな、単なる出先機関・傀儡に過ぎないというわけ。ある意味で事実だった面はあれども、かなりすごい言いようではある。
とにかく、広島の原爆の強大さにビビったスターリンが surrogates を抑制するので、効果としては「朝鮮戦争」のカードがゲームから除外される(金日成に「南進」を諦めさせるという意味)。しかし、本当に恐ろしいのはもうひとつの効果で、
平たく訳すと、「一発目だけで日本が降伏してくる原子爆弾の強大さに、ソ連は恐れをなし米国との対決を躊躇するようになったので、核を独占していた冷戦の最序盤には、米国は世界中どこでもやりたい放題できるようになりました」ということになる(史実でも、ソ連の原爆保有は1949年)。
「せめてもう少し早く降伏できなかったのか」という歴史のIf は、日本でもよく語られるけど、アメリカ人の手にかかるとそこから先のThen がここまで違うとは。率直に驚くが、しかし現にそういう設定でゲームを作れてしまうくらい、私たちと彼らの歴史感覚は隔たっている。
この夏には近年珍しく、日米での「原爆観」の違いが話題となる騒動も起きたけれど、そこだけを切りとって「けしからん」と言ってもあまり意味はないだろう。むしろ、なにもしないでいると歴史感覚はそこまで分かたれてしまうという事実を踏まえた上で、埋めるためにはなにができるかを考えるほかはない。