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【日常】こころの整理と在庫確認

真夜中に目が覚めて、そのまま寝付けなかったので少し文字を書いてみる。
毎年何だかんだとあるものだけど、今年はまた自分のこと以外にも、強く心揺さぶられる出来事がとても多かったので。
それを文字にできるくらいには、少し気持ちの整理もついてきた、ということで。

思えば去年も本当に慌ただしい一年だった。
年明け早々からの長期入院に始まり、そして入院したからといって元気になって退院できるものではないこの体が、何とか日常生活に馴染んでくれるまでにさらに半年以上を要し。
ようやくいつも通りの不調まで戻ってきたなと思い始めた秋の只中に、友人の訃報が届いた。お互い出歩ける身ではなかったので、同じ趣味を通じてSNSで知り合った彼女と会ったことは、一度もない。

そのアカウントでは、私も彼女も趣味の話題が中心で、特に持病云々について触れていなかったのだけど。それでも長く使っているアカウントだし、趣味アカウントと化す以前はそこが自分の唯一の場所だったこともあり、全く触れないということもなく。

直接的に闘病についてやり取りすることはなくても、お互いに何となく、何かしらのやっかいな病気持ちであり、ちょこちょこ入退院を繰り返していることは知っている、という具合だった。

そういう友人が同じコミュニティ内に二人ほどいて、自分含め、病気から少しの間でも距離を置ける場というのをすごく大事にしていたし、どうしても自分の内に留めておけない辛さをぽろりとこぼす投稿を目にした時は、離れていても、何とかその時が無事に過ぎ去ることを互いに願っていたように思う。
少なくとも私はそう感じていた、ということなのだけれど。

去年は私自身、体調以外にも対外的(主にお役所相手)に本当に大変な状況の連続であったので、あまりSNSにも顔が出せず、垣間見える友人の大変さにも、ここを乗り切れば『お疲れさま!!』 と言い合える瞬間がやってくるものだと、そう思っていた。

まさか、そのまま何も伝えらなくなってしまうなんて、ぜんぜん、思っていなかった。

そのこと自体をうまく受け止められないというか、こころのどの場所に置いたらいいのか分からないまま年が明け、2022年が始まった。
体調は相変わらず、というか、24時間365日態勢で不調に拘束されている状態なので、そこはもう割り切れなくともそういうものだとしてやっていく他なく。

私にできる悪あがきといえば、不調ありきのなかで、いかに自分らしく生きていけるかということを、少しでもこう在りたいという自分像に近づくための方法を、模索し続けることで。
そういうことをこれまで以上におもい、現状に合ったものを生活の中で実践しながら擦り合わせていく、そんな今年の幕開けだった。

そうして試行錯誤を繰り返しながら暮らしていくうちに、少しずつ気持ちも落ち着いてきたというか。考えると喪失感がやってくるけれど、まずは自分が1日を無事に過ごすということを最優先にやっていた春の頃。

今度は、もうひとりの友人が亡くなった。

クリスマスに、彼女からメッセージカードを貰っていた。
今年は会えなくて残念だったから、来年こそはお茶しようね、という旨が朝焼けに染まる立葵のイラストと共に書かれていた。
彼女とはそれなりにご近所だったのだけれど、やはりお互いおいそれと外出ができないせいで、なかなか会えずにいたのだ。

やっとこさ固められてきた地面が、再度、崩れたと思った。
一度目は何とか踏み止まっていたのが、二度続いたらダメだった。

去年の秋の時には、ちゃんと泣けなかったこともあるかもしれない。
今度は、どうしても、何をしても、突きつけられる現実から目を背けることも紛らわすこともできずに、泣いて、泣いて、去年の秋からの分も含めて泣き暮らしていたように思う(怒濤過ぎて、記憶も少し曖昧)。

離れて暮らす家族や、毎週来ていただいているヘルパーさんに対して、全然それとは関係のない言葉を発するだけで涙が溢れて止まらなかった。
つらい気持ちも涙も止まらないけれど、私の時間も止まってはくれない。
ので、泣き暮らしながら食事をとり、服薬し、私は私の生活を維持することと、愛猫の平和な日常の円環を欠けさせないという一心で日々を送っていたことだけは覚えている。

元々私の日常は、自分と愛猫の暮らしを守ることの二点に集約されているので、かなり時間はかかったけれども、毎日を覆っていた涙と喪失感が少しずつ、少しずつ、こころの整理箱に収まり始める気配を感じながら、時間薬というものの有難さに心底感謝をした。

当たり前のことなんて、何ひとつない。
それは自分が動けない体になったことで、ひしひしと実感するものではあったけれど。これまで以上に、するりと、そう感じる場面が増えたように思う。

もうここまででも、割と自分のなかでは怒濤の年だったというのに。
梅雨の始め頃、今度は父が倒れてしまった。
倒れた父の心配もさることながら、私のことだけでも相当負担を強いていた母の身も、同じくらいに心配だった。

幸い、父は障害こそ強く残ったものの、数ヶ月の入院生活とリハビリを経て、つい先日、無事に自宅に戻ることができた。

私は短い間ではあったけれど、いよいよ体が保たなくなって退職を余儀なくされるまではリハビリ職に就いていたこともあり、父の入院中は、母や姉の気持ちが少しでも落ち着けるようにと、意識してメッセージのやり取りをしていた。
即戦力で手伝いに駆けつけられない私には、それくらいしかできないというのもあったけれど、普段は私に弱音を吐かない姉が、この時ばかりは胸の内を打ち明けてくれたことがとても嬉しかった。

そんなこんなで、ひたすらつらつらと書いてきたけれど、寝不足で脳がぐずぐず状態なことも相まって、いつも以上に読みづらい文になっていることと思う。
ただ、形のない感情のまま抱え続けているよりは、父の退院でひとまずほっとしたのを機に、一度言葉として形を作っておきたかったという。

こころの抽斗に整理するにも、持ち物がこんがらがってグチャグチャなままよりは、そこに何があるのか見えていた方がやりやすいので。

真夜中にふと思い立って書いたけれど、朝になってからでは書けなかったと思うし、たとえ時系列に並べただけにしても、改めて振り返るにはまだパワーが要るな、と。

そして、過去に登録したはいいけど、その時はほとんど更新のできなかったこの場所があって本当によかった。
ひとつでも多く自分を守れるものが欲しかったという気持ちを始まりに、読み書きの楽しさだけでなく、何をするにしても、それが好きなことであればあるほど、自分のペースを大切にね、ということを。それは趣味に限らずすべてにおいて通じることを、折に触れて思い出させてくれるので。

あ、外が明るくなってきたので、ぼちぼちいきますか。
私もあなたも、
今日がいい日でありますように。






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