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【掌編小説】アメリカンドッグの女

 時刻は早朝、早くて四時台から遅くとも八時までの間にその人はやって来る。注文は決まってアメリカンドッグ、これは絶対。あとは牛肉コロッケか、はたまたハッシュドポテト。夏場はそこに焼き鳥の塩(皮かモモのどちらか)が選択肢に加わる。
 コンビニで働いていると、よく来る客や一癖ある客のことは割と覚えてしまうものだけど、彼女もその一人だった。
 客の少ない深夜から早朝は、廃棄を減らすためにフライヤーケースは空っぽ状態になってしまう。なので彼女の来店が日の出前から直後の場合、お目当ての品は当然ない。そんな時、彼女は決まって狭い店内をくるくると見て回った後、結局カゴには何も入れないままカウンターに設置された呼び出しボタンを押し、出てきた店員に向けておずおずと口を開くのだ。
「すみません。アメリカンドッグって頼んでも大丈夫ですか?」
 物腰穏やかなお客というのは一定数いるが、彼女はそんな中でも丁寧な部類に入る。店員に対してはもちろんのこと、自分の注文で時間がかかった場合、後ろに並んだ客にも配慮をする気遣いの人だった。
 時給が高めということで早朝シフトに入っている私は、密かに彼女の来店を心待ちにしていた。店員に対して横柄な態度を取る客もそこそこいる中、いつも変わらず礼を以て接してくれる彼女へ癒やし以上の思いを抱いていたから、ということに気づくのは少し経ってからの話だけども。
 それに気づいたのは、バイトの休み明けに他の仲間から彼女のことを聞いた時だった。アメリカンドッグの人、また来たよ。同年代の彼は自分らよりずっと年上らしいその人のことを、最初『アメリカンドッグの女』と呼んでいた。あの時間帯に揚げ物ばかり買う、なければ待ってでも買う、服装が確実にパジャマ、支払い時に提示するポイントカードが漫画作品とコラボしたやつ、等々。共感できない部分を小馬鹿にするニュアンスが多分に含まれた呼び方だったのは間違いない。
 さらにそれを聞いた自分もマジでか、私がシフトの時に来ないかな~などと乗っかっていたのだ。いま思えば穴を掘っても入りきらず、思い切りはみ出す勢いで恥ずかしい。
 そんな私の後悔と同じ現象におそらく彼も陥ったのだと思う。他人に対して分け隔てなく丁寧に接することは、しようと思っても結構難しい。二十歳そこそこの自分だってそのくらいは分かっている。小馬鹿にしていた彼だって、きっと。
 お先~。お疲れ。いつも通りの軽い挨拶を交わして彼が帰っていく。片手を振って見送りながら、バックヤードの扉が閉まると共にひくりと笑顔が引き攣った。
 今度からアメリカンドッグ、一個だけでも置いとこかな。
 私と同じく派手に染めた前髪をわしゃわしゃと直しながらの呟きに、形にならない何かが胸の真ん中に芽生えた。モヤモヤとすっきりしないし謎の焦りが駆け巡る。
 アメリカンドッグの彼女は毎日来ない。そのことがさらに私を焦らせた。彼の早朝シフトを全部乗っ取りたいくらい膨らむモヤモヤなのに、打つ手がないとは何たることか。
 焦りの原因が分からないまま、そわそわと過ごしたその翌週の午前五時。この時間でも太陽がすべてを照らし出す夏の朝、件の彼女はブレずにTHE・部屋着(ぽいが絶対パジャマ)姿でやって来た。
 それとなくフライヤーケースに目をやって、そこにアメリカンドッグが入っていることを確認したのを見逃さない。店長にも相談して、いくつかのメニューを最小数用意してもOKとの了解を得た結果だ。
 いつも通りくるりと店内を見て回った後、彼女はケースに目をやりながら私に告げる。
「アメリカンドッグと牛肉コロッケをひとつずつと……えっと……」
 迷う素振りの彼女に思わず進言してしまう。
「ハッシュドポテトも揚げたてですよ」
 言ってしまった。言ってしまったぞ。不審がられるかもという不安は、私に向き直った彼女の笑顔が全部吹き飛ばした。
「あ、じゃあそれもお願いします」
「ありがとうございます。少々お待ち下さいませ!」
 いつも通りの優しい笑顔にこらえきれない含み笑いが混じっていたのは、自分が店員に認識されているというアレだったのかも知れない。逆に失礼だったかもと、新たな不安が間髪を入れずに湧き起こる。
 丁寧に接してもらうとこっちもそうしたくなるし、優しい気持ちになれる。自分も誰かに対してそう出来るんだってことを彼女が教えてくれた。
 注文の品をバッグに詰め終わると、彼女はありがとうございましたと会釈をして店を後にする。その顔が本当に嬉しそうで、不安は一瞬で安堵に上書きされた。
 自分は感情が忙しいタイプじゃないつもりだったのに、本当にそうだったのか思い出そうとしてもよく分からない。彼女を意識したことで、それ以前に当たり前と思っていた様々なことまでが変化したのかもしれない。
 いつも通りのパジャマ、いつも通りの笑顔、いつも通りの優しさ。今日はそこに+αで加わったものがある。素のままの彼女を見たような、あの含み笑いが忘れられない。
 これがドラマなら、ラストで絶対主題歌のイントロが流れてる。もうさ、流しちゃってもいいかな。分け隔てなく誰にでも親切なあの人だから、自分だけが特別なんじゃないから。わかってるけどでも、今日の笑顔は私だけに向けられたものだって自惚れたい。
 それから少し間が空いた今朝、彼女は来てくれた。私が彼女を認識しているように、注文時にほんの一瞬口元がほころんだのは、彼女もまた私を認識してるってことで。
 多分十五くらい歳が離れてそうだけど、そんなん気にしないとか勝手に思ってる時点で私は落ちていた。
 カウンターを介して笑顔を向け合う私とあなた。お決まりの店内放送は、脳内でキュン死にしながら観ていたドラマの主題歌に変換されていた。

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