影響力と責任の範囲を拡げることで、社会課題の解決に貢献する。
三ヶ月ほど前から、定期的にクリーン活動を行っています。
クリーン活動を開始した当初は、単なる「イベント」として楽しんでいたスタッフたちも、最近では、「与えること」「貢献すること」の喜びを感じているようです。
一般的に、「三日坊主」という言葉をよく聞きますが、何事も一度決めたことを情熱を持って実践し続けることが大切だと思います。
「才能とは、継続できる情熱である」 羽生善治
そして、継続して実践する中で、いろいろと嬉しい出来事もありました。
なんと、近隣店舗の方々から、たくさんの頂き物をしました。
めちゃ美味しいイチゴを頂きました。
とても色鮮やかな「すいか」も頂きました。
「すいか」って、見るだけで冷涼感を味わえる気がします。
不思議ですよね。
近くのカフェのスタッフさんから、アップルジュースを頂きました。
ありがたいです。
さらに、先日のクリーン活動では、近隣の方も混ざって、一緒に掃除をしてくれました。
ボクたちが自主的にやっているクリーン活動ではありますが、「いずれは地域全体に拡がったら面白いよね」とスタッフたちと一緒に話をしていたこともあり、とても嬉しい出来事でした。
そんなクリーン活動を実施する中で、いろいろと気付かされたことがあります。
それは・・・
「誰かが掃除をしてくれている」
「掃除をする側の立場になることが大事」
ということです。
道路に張り付いている「ガム」を剥がすのは、とても大変でした。
「ガム」を吐き捨てるのは、一瞬かもしれませんが、道路に張り付いた「ガム」を剥がすためには、数分かかります。
道路の排水溝に、タバコやゴミをねじ込んだりして捨てられていることもあります。
掃除をする側からすると、とても迷惑な行為ですよね。
また、先日、「流浪の月」と言う映画を観てきました。
実は、ボクは映画好きなんです。
「流浪の月」を観た後は、「TOHOシネマズ 新宿」という歌舞伎町にある映画館にて、「20歳のソウル」という映画も観ました。
その際、衝撃的な現場に出くわしました。
なんと、映画館のトイレの便器と床に、ポップコーンがばらまかれていたのです。
意図した悪戯なのか、
それとも、酔っ払った末の行動の結果なのか・・・
どちらにせよ、それを掃除する方がいるということを、一人一人が理解すべきだと考えます。
そして、仮に、どんなにゴミを捨てても、次回、その場所に行った時には、綺麗になっているのだとしたら・・・
誰かが掃除をしてくれたということです。
スタッフ一同、今まで以上に、ゴミの分別をやるようになったし、クリーン活動とは関係なしに、普段から、道端に落ちているゴミを拾うようになったそうです。
そして、もう一つ、クリーン活動を始めて、気づいた大切なことがあります。
「そのゴミのポイ捨て、自分の家でもやりますか?」
おそらく、ほぼ全員、回答は、「ノー」だと思います。
Q. 「自分の部屋で、ガムを吐き捨てますか?」
A. 「ノー」
Q. 「自分の部屋で、排水溝にタバコやゴミをねじ込みますか?」
A. 「ノー」
Q. 「自分の部屋で、トイレにポップコーンをぶちまけますか?」
A. 「ノー」
つまり、自分の部屋では、ゴミのポイ捨てなんてしないわけです。
「なぜでしょう?」
それは、自分が困るからだと思います。
もし、「自分が困る」or「困らない」という判断基準で、ゴミのポイ捨てを「する」or「しない」を選択しているのだとすると、とても心が貧相な感じがしますよね。
「自分のテリトリー」、「自分が取る責任の範囲」を広げることで、結果、社会貢献の幅も拡がると思います。
得た知識は実践して初めて意味があるし、実践することによって初めて新しいことに気付くこともあると思います。
自分の影響力と責任の範囲を拡げ、事業を通じて、社会課題の解決に貢献していきます。
向山雄治
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