マザッチョ・ルネサンス美術の3要素確立
1. 序
もう少し前にルネッサンスの幕開けとして画家ジョットについての記事を書いた。
そのあとに続く画家を調べていると、マザッチョ(1401年~1429年/サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ生まれ)の重要性が浮かび上がってきた。
西洋絵画の歴史では、マザッチョに始まる15世紀絵画を初期ルネサンスと呼ぶ。
彼を創始者として、「現実に見えるがごとく表現する」というルネサンスの基本姿勢、つまり自然模倣あるいは現実再現を目指す試みが実現していったのである。
2. 「貢ぎの銭」(1425年~28年ころ)
まずマザッチョが描いた「貢ぎの銭」を見てみよう。
そもそも絵画は二次元平面上に描く芸術である。そこに自然や現実という厚みも重さもある三次元の世界を再現しようとすれば、当然、次元の差が生じる。
その次元の差を解消するために、ルネサンス以降の絵画は、奥行きや立体感を表そうとした。
貢ぎの銭(1425年~28年ころ)/
サンタ・マリタ・デル・カルミネ聖堂 ブランカッチ礼拝堂
マザッチョは、
●ひとつの視点に基づく遠近法
●ひとつの光源に基づく明暗法
●色彩遠近法あるいは空気遠近法の技法
これらを採用した。
これらの観点でこの絵画を見てみよう。
■ひとつの視点に基づく遠近法の採用という点では、
画面の右部分に描かれた建物の奥行き方向へ延びる直線は、すべてイエスの頭に集中している。これによって、画面の中に奥行きが明示されると同時に、イエスが構図の中心に位置することが明らかとなっている。
■ひとつの光源に基づく明暗法の採用という点では、
イエスと12使徒は古代の衣服トーガを身にまとい、陰影によって明確に肉付けされている。人物や建物は自らの投影を地面に映じている。この陰影と投影の方向を確かめるならば、ブランカッチ礼拝堂の祭壇がある奥の壁の窓を光源と想定していることがわかる。
■色彩遠近法あるいは空気遠近法の技法という点では、
マザッチョは、淡い色彩を用いて遠くにある山々を描いた。これはいわゆる色彩遠近法あるいは、空気遠近法という技法である。人間が遠くを見るとき、空気の介在によって明確な色が失われ、遠ざかるにつれてはっきりとは見えなくなっていく、という経験を踏まえて描かれているわけである。このおかげで逆に登場人物たちは、その堂々とした体つきを遠近法によって示された建物と自然風景という舞台にさらして、全体としての秩序をなしているのである。
3. ジョットからマザッチョへ
このブランカッチ礼拝堂壁画を描くにあたってマザッチョが手本とした先人は14世紀前半のジョットであった。ジョットの記事にあげたスクロヴェーニ礼拝堂壁画の「ユダの接吻」をもう一度見てみよう。
ジョット「ユダの接吻」/スクロヴェーニ礼拝堂壁画(1303~60ころ)
ジョットは「構図をつくる天才であった」ということがあらためて見て取れる。
ユダのマントは、虜にしたイエスの身体を包んでふくらんでいる。つまりそれは身体の立体感を表現しているということである。
また造形的にはユダの背中の方を明るく、イエスの方を暗くすることで、画面の右から光を受けているように描かれている。
その光が差し込む元となっているのは、礼拝堂の入り口壁面にある窓なのだ。ジョットはそれを計算して描いたということがここから見て取れる。
しかも考慮に入れるべき点は、これまではもっぱら正面から照らされていた光を、ジョットは画面斜め上から射すようにして陰影を施したということである。それは何よりも立体感を効果的に表現するためだったのであるが、彼はそうやって光の方向を統一した。
以後、建物内壁に描かれる壁画は、基本的にこのジョットのシステムを踏襲するようになる。
しかしよく見てみよう。ジョットのユダの接吻には、窓を光源と想定した陰影によって身体の立体感が描かれているのに、足下には陰影がない!
ジョットの「ユダの接吻」の足下には影がない!
マザッチョはこのジョットの「光源として想定された窓からの光に基づき陰影を各場面に描きつつ、さらに「投影」という要素をそこに加えていったのである。
彼はこの陰影表現によって徹底したリアリズムを推し進めていくことになる。
この試みは以後の芸術家に決定的な影響をあたえたのであった。
4. 「楽園追放 」と「聖三位一体」
■「楽園追放」(1424年~27年ころ)を見てみよう。
何より彼は、絵画を人間の視点から描いた画家であるとされている。
ジョットによってすでに登場した「感情表現、人体把握、空間性」というルネサンス美術に必要な3要素を、マザッチョが完成させているのである。
●彼の描いた「楽園追放」を見てみよう。アダムとエヴァの悲しみと絶望感による泣く声まで聞こえてきそうである(感情表現)。
●遠近法を用いた背景に建物と天使の位置を前後に描くことで奥深い空間を表現している。ふたりの足下から延びる影も大地の確かな存在を感じさせている。(空間性)。
●筋肉の作りや脇腹などの肉体表現をより写実的なものにした(人体把握)。
楽園追放(1424年~27年ころ)
サンタ・マリア・デル・カルミネ教会ブランカッチ礼拝堂 フィレンツェ
■「聖三位一体」(1425年~28年頃)を見てみよう。
この絵画では一点消失遠近法により、神の背後に広がる空間に奥行きが生まれている。画面両脇でひざまずく二人はこの絵の寄進者である。この二人の壇上のちょうど真ん中に消失点が来る構図となっている。
「三位一体」は、父なる神、子なるイエス、世界を想像した神の霊である精霊からなる。本来唯一の存在である神が3つの姿となって現れたもので、神が絶対的な存在であることを示すキリスト教の根幹的教義の一つを示す絵画である。
ここでは手前にひざまずく人物の方が、神であるイエスよりも大きく描かれている。遠近法的にはこれは正しいのだが、これまでは絶対的な価値を持つ神が小さく描かれることなどはあり得なかったのだ。
生身の人間の大きさを正確に描こうとするルネサンスの合理性が際立っている絵画であると言えよう。
聖三位一体 (1425年~28年頃)
サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂 フィレンツェ
5. マザッチョの後継者とその後
マザッチョの後継者は、フラ・アンジェリコ、フィリッポ・リッピ、ドメニコ・ヴェネツィアーノたちであった。かれらはマザッチョの線遠近法を取り入れつつも色彩表現により、積極的で装飾性をも満足させる作品を描いた。
そして近年の修復により、マザッチョが色彩をおろそかにしてはいないことが再認識され、色彩遠近法もまた遠近表現に用いられていることが確認された。彼の壁画群は後世に大きな影響を与えている。
その後ブランカッチ礼拝堂は、画家をめざす者たちの学校となり、ミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチらもスケッチに訪れ、後の画家たちに多大な影響をあたえた。
美術史家ヴァザーリも「以後すべての彫刻家、画家はこの礼拝堂を模写した」と述べている。
マザッチョの後世に残した業績は大きい。
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