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読む人

年を食って物忘れが激しくなった。最近のことは忘れても案外昔のことほど覚えているものだというけれど、程度問題であって、昔のことでも記憶は混乱する。だったら「鮮明な記憶」というのはいつの時期ならあるのか、という話なのだが、もしかしたらそういうのはなくても人は生きられるのかもしれない。すべての記憶は薄れ拡散し組み替えられて改竄されて、ゆっくり霧に溶けるようになくなっていくのだろう。それでもときたま、霧のように霞んだ記憶の底から、ぽっと浮き出してくる出来事もたまにある。

最近まで僕の頭の中で二人の女子生徒が混同されて記憶に残っていた。一人は小学校の同級生で一人は中学の同級生だというのによく似た性格なのでごっちゃになっていた。いつのまにか記憶に残る容姿も統合されている。脳の中で、この二人は同じ顔をしている。そんなはずはない、とごっちゃの糸を一所懸命ほぐしていたらいろいろ思い出してきたので、ほぐれているうちに書いてみることにする。記憶が不鮮明な部分は適宜想像で補うので、そこは先にお断りしておく。
二人とも、とにかく「読む人」なのだった。

一人目はたしか中原さんといった。
中原さんは小学校5〜6年で同じクラスだったが、クラスの人間とほとんど交わらず休み時間はずっと文庫本を読んでいる。僕が岩波少年文庫とかそういうのを読んでいる時期に、子供用ではない、普通に大人向けの文庫本の、主に外国の作家のものを読んでいた。スタインベックとか読んでたような気がする(僕はピッピ・ナガクツシタとか読んでいるというのにだ)。
中原さんは一人でいるからといって別にいじめられているわけではない。同年齢の中で突出して大人びていて周りのガキどもには理解が出来ず、わからないものには関わらない方が良い/中原さんも本を読みたいから関わりを強要されないのは助かる、というような暗黙の協定が結ばれていたように思う。
が、そういう「暗黙」を理解しない一人のお馬鹿な男子生徒が、ある日中原さんに愚かな攻撃を仕掛けた。教室の隅の掃除用具ロッカーの脇から発見された干涸びたゴキブリの死骸を、中原さんが読んでいたスタインベック(多分)の上にチリトリで投げたのである。
本に当たって机の上に落ちたゴキブリの死骸と投げた男児を、中原さんは交互にじろっと睨みつけた。本を穢された、ということで中原さんの何かに火がついたのだと思う。中原さんは躊躇なくゴキブリを手につかむと音を立てて立ち上がり、その男児に突進し、あわてる男児の胸元に手でゴキブリをなすりつけた。乾いたゴキブリは男児のTシャツの上で粉々に砕け、黒い破片になった。
中原さんは廊下に出て手洗い場の石鹸でゴシゴシ手を洗うと、そのまま教室に戻って悠然と読書を続行した。お馬鹿な男児はひとり
「ゲェっ、気持ち悪い! 黒い色とれへん! あああ!」
とか泣きわめいていたが、誰も彼に同情する者はなく、みんな中原さんを畏敬の目で見つめていた。もちろん僕も。

二人目は中学三年で同じクラスになった青井さんである。
彼女も休み時間はいつも文庫本で外国作家のものを読んでいた。クラスに必要以上に交わろうとしないのも、先に書いた中原さんと同じだ。なので二人の記憶を混同したわけだが、中学3年の男子生徒が女子生徒にゴキブリで逆襲されて泣くか? と考えて、あ、ゴキブリ逆襲の女の子は青井さんではない、小学生の別の子だ、と記憶の糸をほぐして先ほどの中原さん(の記憶)を発見した次第。
ともあれ、青井さんのことを書く。
彼女が休み時間に読んでいる本は毎日変わった。ということは一日に一冊以上のペースで読んでいるということだ。モームだったりヘッセだったりフォークナーだったり、なんせ「新潮文庫の海外作家」という印象が強い。『月と六ペンス』(中野好夫の旧訳版)を古書店で見るたび、青い表紙と青井さんの真剣な目つきがセットになって思い出される。
青井さんは読む姿勢も良く、とにかく読書する姿がかっこよかった。ほんとうにいつでも本を読んでいた。

青井さんは何があったのか知らないが、英語の佐野という教師を嫌っていた。それも尋常ではない嫌い方で。
佐野先生の授業中、絶対に前を向かず、ただ窓の外を睨みつけるように見ている。先生が注意しても聞こえないふりをする。僕ら他の生徒にはそれほど嫌な先生でもなかったのだが、一体何が気に食わなかったのだろう。毎回毎回無視するのである。
先生も激昂する。
「青井、聞こえへんのか。こっち向け!」
「・・・・・・」
「聞こえへんのか!」
すると青井さんは急に立ち上がり、佐野先生を睨みつけ、また座って窓の外を見る。そっち向いたから文句ないだろう、という意味なのか。
ついには佐野先生が根負けして後ろの席の僕に
「もういい! 次、鎌内、読め!」
ところが僕は佐野先生と青井さんのバトルをヒヤヒヤしながら見守っていたもんだから、どこから読んだらいいかわからない。「どこをですか」と聞いた僕の口調が、最高潮に機嫌が悪かった佐野先生には何かカチンときたらしいのである。
「お前もか!」
とんでもないお鉢が回ってきた。
「青井と鎌内、お前ら今回の定期考査、国語で一番と二番や。せやけど他の教科は全然ランク外や。英語も全然アウトや。俺の何が気に食わんのか知らんが、国語でそんだけ取れるんやったら別にアホとちゃうんやろ。英語もちゃんと勉強せぇや! 馬鹿にしとんのか!」
いきなり国語で一番と二番なんて言われてもわけがわからない。何のことだ? しかも超反抗的な青井さんと一緒くたにくくられるのも、とばっちりである。
その授業の翌日、廊下に定期考査の成績上位者の順位表が貼り出され、佐野先生の言うとおり、国語の1位、2位に青井さんと僕の名前があった。しかも3位以下をけっこう引き離して、二人がダントツ、みたいな点数だった。
普段は僕も青井さんもそんなところに名前が出るような、突出した成績ではなかった。青井さんは知らないが、僕はランキングのそんな大それた位置にに名前が出るのははじめてだったのではないか。
おそらく、その回の国語のテストはかなり難しかったのではないかと思う。難易度が低ければ周りも高得点で埋もれてしまう二人だが、たまたま難しかったテストで周囲が脱落して、「本の虫」だった青井さんと僕が自然と浮き上がってきたのだろう。国語の基礎体力は小手先ではつかない。シンプルに読書量がものを言う。
そう、僕ももともと読書好きだったのだが、青井さんの寸暇を惜しんで読む姿に触発されて、対抗するように読むようになっていたのだった。青井さんが海外作家なら僕は国内の作家だ、というように、青井さんの知らないところで勝手にライバル心を燃やして負けない冊数を読みまくっていたのである。いつしか僕も休憩時間に文庫本を広げる人になった。猛烈に読んだ。
もともとクラスの人間との付き合いなど大の苦手だった。無理に誰かに合わせる時間なんか、読み潰してしまえばいいのだ。

別々の高校に進学したのでそれっきり青井さんとは縁遠くなってしまった。本当は仲良くなりたかったのだが、そして話せば仲良くなれたと思うのだが、本読みの仁義、のようなものがその邪魔をした。
「本好きな人同士、他の人の読書を妨げてはならない」
寸暇を惜しんで読みまくる青井さんに、ついぞ話しかけるチャンスがなかったのである。

高校の三年間が過ぎ、大学に入学が決まった頃、とある小さな予備校の広告チラシに「合格者の声」と称して、その予備校の授業がいかに的確で効率よく有意義だったか、講師陣がいかに親切で優秀だったか、嘘くさい調子の文章が書かれており、青井さんのフルネームで署名があった。青井さんは東京の有名な大学に現役合格していた。
しかし、その文章は絶対に青井さんが書くはずのない文章だった。これはもう「読む人」の勘でしかないのだが、賭けてもいいがこれは予備校が勝手に書いた文章だ、と思った。あれだけの読書量を乗り越えてきた人の書く文章では絶対にない。
中学時代の名簿を探し、青井さんに電話をかけた。明日東京に引っ越すという青井さんと幸運にも話すことができた。彼女は一応僕のことを覚えていた。
「予備校の広告に、青井さん、勝手に名前使われてるよ」
青井さんはその予備校に通っていたのは確かだが、そんな文章はもちろん書いていないといい、別に予備校に感謝もしていない。その文章は予備校の講師が勝手に書いたんだろう、と別に怒りもせずに言った。
「なんで怒らんの? あんなダッサい文章名前入りで勝手に掲載されて。しかも大量に撒かれてるねんで」
「鎌内君、それ見て私が書いたんと違うってすぐにわかったんやろ」
「うん」
「じゃぁ、いいよ別に。わかる人にはわかるやろし、わからん人にはどうでもいいし」
「抗議せんの?」
「もう東京行くし、関係ない。でも教えてくれて、怒ってくれてありがとう」
そんな大人なことを言って、青井さんは東京へ去った。以来三十年近く経つ。
元気かな。

(2014.7 アパートメント)

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