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さよならかつての「働きマン」

 noteやっててよかったと思った、安野モヨコさんの「働きマン」なんと過去執筆作品が単行本化するとご本人のnote記事でしりました。即購入。もうここ数年、紙の単行本を買うことがなくなったけれど、これだけは紙でなければならぬ。過去そうして集めてきたのだから(とはいえ引っ越しを繰り返し過去の単行本は行方不明…)。

 「働きマン」が連載スタートした当時、たぶんうろおぼえだけど出版社にいたと思う。そんでその前が広告代理店のメディア局にいたのであまりのリアリティと主人公の年齢が同じくらいだったのでめちゃくちゃ共感しながら読んだのを覚えている。この周辺情報を軽い気持ちで書こうとするとけっこうやばいのでやめておく。単行本化にあたってのご本人の記事がまた良いです。
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 このところ、自分の働き方というか、働くということに対する向き合いについて変容していることを発見し、少なからず驚いていたタイミングで激烈に熱い仕事をする「働きマン」を読んで、当時体調を崩しておいでであった安野さんがこの物語を書き続けることは精神的にもひどくつらかっただろうな、と思った。

 私自身の変容については、私は家族を持たない選択をしたことで、自分の生活自分の人生、そのすべてを「いい仕事をする」ことにささげることができてきた数10年だった。それこそが本望であり、自分の24時間を「いい仕事をする」ことのためにはすべて提供できた。

 思いがけず母と暮らすことになった今年、厳密には春以降、母が夕食を一人で食べるのを嫌がって待つものだから、18時あたりには仕事を終えないとならなくなった。そこからダッシュで帰宅して、母のリズムと合わせると日付が変わらないうちに就寝せざるを得ない。正しくは消灯か。その状況で再びPCを開いてデスクに向かう気持ちをもう一度高めることができなくなって、5ヶ月ほどこんな健康的な暮らしをしている。以前は土日もどちらかは平日に物足りないまま終えた仕事をきちんと片づけるために使っていたし、なんというか新卒以来つくってきた「仕事をする遺伝子」がピンピンと元気につながっていた感じがするのだ。

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 それが、平日に一般的な稼働時間に仕事をする。これを続けていたら「あとちょっと」のあがきができない体になっていた。あがき、変換するとしたら貪欲さ、中毒的な達成欲。ふつうではいやだった。ふつうの成果など欲しくなかったから、人がやめるところから苦痛に呻きながらあと3歩前進するような仕事のやり方を強いて生きてきた。多分その先にあるのは2つあって、ひとつにはどこから見ても文句のないレベルでの仕事であること(客観)と、もうひとつが「そういう仕事をする自分でなくてはならない」という自分でいつかかけた呪いである。

 ここのところの変化に自分で気がついていた。私はもう「苦痛に呻きながらあと3歩の前進」ができなくなっているし、なによりもしたくなくてうんざりしている。成長したいとはまだ思っているけれど、ぎゅんぎゅんと風を切る音がするような絶対的な成長スピードに伴走したいとは思わなくなっている。どこか醒めた視点で一歩距離をもっていることに気づいた。

 今できることを実直に提供することで企業から喜ばれ自分も健康的にいたい。平均を超え続けるという努力をもう本当にしたくなくなっちゃった。これはもしかしたら単純に年を取ったせいなのかもしれないけれど、このことは別に私を不幸にしないということにも気がついた。

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 ああそうか、納得がいったんだ。死ぬほど仕事するってことと、それがもたらす高揚感、高揚感は必ず次の達成の呼び水となるから、終わりなきループにハマるわけだが、この一連のことにやりつくし、飽いたのだった。
 そんな季節に届いた「働きマン」最新刊は、過去からの手紙のようにして自分の変化を強く認識させるものだった。

 

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