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追想歩き瞑想録

 このところ、新しく開始した契約の仕事で脳の熱が冷めないので六本木から渋谷駅までの帰り路を歩いている。昔から「歩き瞑想」と呼んでいるが、考えに考えていったん内にこもってしまって答えが出てこないとき、歩いてみると整理されてあとから思いもしないタイミングで解決の目を見ることができるのだ。それに加えてこのところ、そのかかりきり仕事のために運動不足気味でもあるので、一石二鳥とばかりに歩いている。

 時間にしても40分くらいで5000歩程度と、たいしたことはないのだが、重い荷物と仕事用の靴である。さらには1日の重たい疲労を抱き合わせているので、駅につくときはまあまあ疲労困憊していたりする。

◇◇◇

 その帰りしな、つづくイチョウ並木の新芽が日ごとに大きくなるのがうれしい。イチョウの葉って、生まれたときからあの扇型で中央が割れたような形をしているのだ。その新芽は小指の爪ほどのサイズから、見事にあの形をしてくっきりとした若緑で枝々にさざめいている様は、にぎやかな生命の歓びを感じられる。
 そのことに思いを寄せていると、途端に疾風に巻き込まれるようにして思考がさかのぼる。ああ、あれは、イチョウの葉が黄色かったし、鋭い風で道路にはらはらと舞い散っていたりしているから冬のことか。などと同じ道を同じように歩いている、これまたあのときと同じ人間として思い巡らせていると、ありありと鮮やかにそのとき何を心に思いながらこの道を歩いていたかまでよみがえってくるのだ。しかし、ふと、「あれ?それって去年?いや、いつの冬のことだろう?」と思う。焦る。

フリー素材は早朝だそう。いつもたくさんの人が行きかっています

 このところの私ときたら、昔周りの大人や年寄りたちが言っていたような感じなのだ。「あっという間だよ」。若いころは適当にそれらを聞き流し、「んなーわけあるかい」と思っていた。だって毎日はぜんぜん、あっという間などではなく、日々苦しく重く過ぎていくばかりであったから。年長者たちは誇張している。そう信じていた。ところが、ここ最近は1年の経過が数ヶ月程度に思われるし、20代の頃に出逢った人と変わらず今も会っていたりすると、物の見方や感じ方、話題にしていることからして多少の進化はしているかもしれないが、根本的になにもかわっていない。ふとその人の髪に白いものを見つけたり、薄く削いだような頬にかつてよりも時間を感じたりすると、我とわが身を顧みながら確かな時の流れを思い出す。
 
 そうなると、時間の経過スピードに心は影響を受けないのだな、と思って関心したりするのだ。

 そんなふうにして、イチョウの輝く命を眺めながら心がトリップしている。そうしてさっき思い出していた冬が、既に2年前のことだ、など思い出して蒼ざめていたりする。

自分が歩いているのは夜間ですが…

 外苑西通りと交差する、西麻布にアイスクリーム店の「ホブソンズ」がある。実は一度も入ったことがないのだが、店の看板を見るとさらに心が爆速でトリップする。まだ青山に住んでいた叔母が生きていた頃、「あなたの喜びそうなお店ね」と、食事に出た帰りの車内でホブソンズを指して言った。ホームページを見たらそこは、1985年の日本初上陸1号店だという。
 驚くのが、その後ずいぶん経ってから外苑前の方、まさしく外苑西通りにハーゲンダッツの店ができたが、そこはわりとあっという間に閉店した。知名度で言えば日本人には圧倒的に、ホブソンズよりハーゲンダッツであろうに、西麻布の一等地にホブソンズが長く長く残っていることにいつも不思議を想う。 
 いつか入ってみたいな、と思いながら何年も通り過ぎている。

◇◇◇

 ホブソンズを抜けると、道は次第に薄暗くなり、にぎわいを失っていく。道も傾斜がかかり、マスク内でふうふう言いながらのぼっていく。大体この辺を歩いている人というのはほぼ3種類に分かれ、ひとつには近辺に住んでいる人、2つ目は飲食店などから出てタクシーが通らないか右往左往している人、3つ目が私と同じように渋谷駅まで歩くか、と決めている人だ。そこから渋谷駅までも近くはないので、いつもそのようにして歩いている人か、タクシーがつかまらなくて諦めた人のどちらかだろう。
  
 けれど、この道沿いは安心だ。なぜなら道沿いにずっと、渋谷駅に行くバスが止まる停留所が点在しているからだ。疲れたら数分置きに来るいずれかに乗れば済む。この安心感が、疲労困憊にあっても歩いてみようか?という思いの保険となっている。

 そうこうしていると眼前に光をちりばめた渋谷の高層ビルが現れる。青山トンネルを抜ける。この頃には内心、「バスに乗っておくんだった…」と思わなくもないほどには疲労する。そして少しずつ先ほどの3つ目の人種の新たな流れが合流し再び道はにぎわいを取り戻したまま、渋谷駅へと到着する。

 渋谷駅は刹那の袋小路。一瞬だけに賭けてしまう極彩色があふれ、吹き溜まりとなっている。人はその色に勝てず、透明人間のようになって極彩色のカーテンをさらさらと通り抜けていく。
 小さな旅も終わり、夜が一層更けてゆく。


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