弟が、いた頃のことを思い出して
漫画を読んでいたときに、ふと「こんな弟がいたら楽しそうだな」と、何の気なしに思って。その次の瞬間、背筋が冷たくなった。
私には、今も、この日本のどこかに、血がつながった実の弟がいるはずだ。戸籍上は。
冷酷なことに、私は弟がいたことをほとんど忘れていたのだ。
というのも、弟とは27か28歳頃に一度会ったきり、10年ほど会っていない。多分、この先も、お互い生きて会うことはないと思う。
私と弟が育った家は、表向きはそれなりの家だった。あくまで狭い田舎の世界では、という話。両親は地方公務員で、母方の祖父と祖母と同居。祖父も元公務員で、地域でもそれなりに発言力がある人物だった。祖母も祖母で、近くの村の村長の末娘だったので、田舎育ちながら気位が高いところがあった。
要するに、我が家は家族の大人全員が、変にプライドが高く、外面だけは良い人間だったのだ。全員がなんとか体裁を保とうとして外で無理をしているせいで、内情はぐちゃぐちゃだったし、私と弟は婿入りした父と相反する祖母と母という環境の中で育った。
幼い頃は、分からなかったけれど、大人になるにつれて、祖母は父にとって嫌味で意地悪な姑だと分かるようになり、父は父でモラルが無く、モラハラで短気で酒乱だと知るようになった。母は「可愛い息子だけいれば良かった。娘は少しも可愛くない。生んだのは失敗だった」と私本人に伝えるようなレベルの親で、祖母と一緒に父のことを悪く言い、外では「美人で控えめ、知的な奥さん」として知られていたけれど、父と怒鳴り合いばかりしている人だった。
こんな調子なので、大学進学後、家族と距離を置くようになった。
祖父は、家族の中で、他の家族に比べればまともな大人だった。晩年は認知症にはなったけれど、それでも、最後まで紳士だったし、尊敬できるところや影響を受けたところがあった。父方の祖父は、女の孫を見下していたけれど、同居していた母方の祖父は、祖母を大事にしていたし、女の孫の私のことも気遣い、カメラや読書の楽しみを教え、大切にしてくれた。
その祖父が亡くなって、しばらくして私は実家と縁を切った。父、母、祖母だけでなく、弟とまでも、完全に連絡を断つことになったのだ。
20代の途中までは、弟と私は、そんな最悪の機能不全家族の中で育った同士のような関係だと思っていた。弟は、そうではなかったのだろうけれど、少なくとも私は本気でそう思っていたし、一時期は、弟が立ち直れるまで、一緒に暮らして社会復帰のサポートをしようと考えていた時もあった。
大学に編入して福祉系の資格をとったことも、弟と全く無関係ではなかった。
けれど、私は気づいてなかった。弟が、両親と同じくらい、私のことを憎んでいたことを。資格をとってNPO法人で働き始めた1年目の年末、私は、弟から恨まれていることを知った。
弟は、中学生の頃にいじめに遭い、不登校になった。高校もどうにか入学はしたものの通学ができず、通信教育の高校に再入学し、卒業したのだ。そこから、専門学校、短大と、2,3の学校に入学したと母から聞いた。けれど、最終的に何度入学し直しても通学できくなり、退学してしまった。
父も母も、教育関係の仕事ながら、自分の子どもたちには全く向き合おうとしない人たちで。私は反発して、人生上がったり下がったりしつつ、今の夫に支えてもらいながら、生きていくことができたけれど、弟は、大嫌いな両親から離れることができなかった。
両親は、18歳を過ぎると、世間の目が気になるという理由で弟を隣の県で一人暮らしさせるようになった。弟も、両親と物理的に離れたがっていたので、お互いの利害が一致した形。
家族も友だちもおらず、短大や専門学校へも通学を続けられず、1人でゲーム、身の回りのことをして過ごす内、きっと、弟の視野と思考力は狭く、小さく小さくなっていき、憎しみだけが頑丈に、大きく、ガッチリと育っていたのだと思う。
あの年末の、私が最後に自分の実家に帰省した日、母から「弟が明日帰って来るから、頭を下げて謝罪して」と言われた。弟は、それまで自分の人生がうまくいかず、自立できなかった理由を全部両親の育て方のせいにしてきていたのだが、その年、憎しみの矢印を一気に私に向けたのだ。
両親によると、弟は、自分の人生が失敗したことについて、私が謝罪すれば、仕事もするし、1人でちゃんと生きて行く、と宣言したという。弟は、私が子ども時代、弟に辛く当たったせいで、うまく大人になれなかったと言い出したのだ。
私は、確かに優しい姉ではなかった。完璧な姉ではなかったと思う。けれど、100点満点ではなくても、‐100点満点でもなかったと思うのだ。弟が、100点満点の弟ではなかったように。
私が謝罪することで、弟が本当に挫折続きの人生を、明日から急に立て直せると思っているとしたら、やっぱりそれはおかしなことではないかと思った。私に謝罪をさせることで、今までの罪滅ぼしをしたような気になって、救われようとしている両親も。
私は弟への謝罪を拒否し、今後、私はいないものと思ってくれ、と言ってその足で家を出て。それから、家族の誰とも連絡をとっていない。
そして、私は、弟のいない人生を生きることになった。
義実家で、夫のお兄さん、お姉さんたちを見ているときも、家族やきょうだいというのは、良いなと思う。お互いをあだ名で「〇〇ちゃん」や「〇〇さん」と名前で呼び合っていて、気を許していて、良いところと弱いところをよく知っている。
「小姑1人は鬼千匹にむかう」なんて言うけど、お義姉さんたちを私は本当に好きだし、それぞれ尊敬できるところ、憧れているところがある。私だけの片思いで、実は嫌われていたとしても、それは仕方ない。私は口下手だし欠陥が多くて完璧じゃないし、子どもも産まない嫁だから。ただ、私はお義姉さんたちのことをただ好きだと思っている。
そこが、私の実の家族と違う。好きな気持ちがあるから、多少、無理をすることになったとしても、今後も付き合っていたいと思う。
私と血のつながりがない姪っ子も甥っ子も、可愛い。夫とつながりがあると思うだけで、その人たち全員を、大事にしたいと思う。正しい家族というのは、こういうものなのかも知れないと、分からないなりに感じる。
弟がいない人生を選んだ後で、義理ながら兄と姉ができて、帰省すると「おかえり!」と迎えてくれる人たちが増えた。例え「夫に付属している」からという枕詞が付くからだとしても、これはやっぱり幸せなことだと思う。
弟が、いつか気づいてくれたらいい。両親とお金でしか繋がっていないことの虚しさと恐ろしさを。自分が自分で決めたことを、小さくても、確実に1つやり遂げることができたら、もろくても道が見えたり、足元が落ち着いて、一歩を踏み出しても、大丈夫だと思えるようになること。そして、優しくてまともな人たちが、世の中にはいること。
過去は過去、なんて残酷なことは言わないし、思わない。両親が用意した働かなくてもお金と物が与えられる天国のような地獄のことを、私も知っている。暴言と暴力の中で育った過去と永遠に満たされない孤独感と愛情の飢餓感は、大人になっても一生消えない。
私がこうしているのは、運もあったと思う。けれど、1つのことをやると決めて、前に進んだ時、微かでも確実に世界が変わり始めた。それだけは、きれいごと抜きで、真実だった。
いつか、弟が、ゲームの中の世界じゃなく、リアルな自分自身の世界を救う日がくればいい。望み薄だとしても、燃えかすのような姉として、今や幻のようになってしまった弟へ、それだけは思う。
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