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「感情廃棄物」を棄てる「穴」



星新一で「おーい でてこーい」という作品があった。穴があって、「おーい でてこーい」と言っても反応がなく、石を落としても底なし穴のようで、こりゃ都合が良いということで原子炉の廃棄物なりなんなり入れていったが、最後は空の上から「おーい でてこーい」と声が聞こえて、石が落ちてきた、という話だった。

なぜ「おーい でてこーい」を思い出したかというと、私がこの穴になった気分だったからだ。

私はついつい他人に尽くしてしまいがちで、信頼が築けると思った人には私も依存しがちだが、たぶんその人も私に依存させてしまいがちなんだと思う。つまり共依存体質なのかもしれない。

これについての最初の記憶は小学校のときだ。小学生のとき私は図工が好きだった。あるとき家から折り紙やらお菓子のパックやらの工作のための材料や、その他にも普通ののりだけじゃなくてラメのりとか、そういう道具とかも持ってきてたっけな。とにかくたっくさん工作のための材料を持ってきてた。ある子から材料か道具を借りていいかと聞かれて、私は二つ返事でいいよと答えて貸した。次は他の子も聞いたので、いいよと貸してあげた。次はあの子も、お次はその子も、といううちに、どんどん工作の材料や道具をかっぱらわれていってしまい、いつの間にか自分の材料や道具がだいぶ少なくなってしまっていた。たくさんの子に取られてしまい、それでも次の子が貸してほしいと来たので、耐えられなくなった私はついに堪忍袋の緒が切れて叫んでしまった。

この場合は「おーい でてこーい」の穴とは逆に私は物質的な意味では資源を無尽蔵に奪取される対象となったが、他の意味ではこの穴と同じような存在と化していたと思う。

そう、人のどんな「感情廃棄物」も捨てられる都合の良い「穴」だ。

物質的な物としては私から他の子への移動ばかりだが、感情的にみると「貸してくれるよね?」という頼みが他の子から私に押し付けられてばかりだった。

なかなか私は感情的な押し付けに気付かずにいつの間にか人の「感情廃棄物」を溜め込んであるとき大爆発させて天から振り落とす「穴」になってしまうことがあるみたいだ。

「一見底なしの穴」ではなく、まだ「小さな窪み」とか、「汚染がすぐ生態系などに目に見えて影響を及ぼしてしまう環境」みたいなものだったら、相手の「感情廃棄物」を早い段階から突っぱねられたかもしれない。しかし「一見底なしの穴」は「感情廃棄物」を溜めて溜めて溜め込んであるとき一気にどっと跳ね返して他人との関係を悪化させてしまう。そのときの私のことといえば……あー思い出しただけで黄泉の国に行きたくなるですだ。

まあ、日頃感情廃棄物を吐き出す機会が無くて溜め込んでしまい、やっとのことで私という素敵な「穴」を見つけた相手も可哀想だが……。私も正直可哀想だ。ほんとに私が可哀想でしょうがない。泣きたいけど涙が出ない。代わりに身体が床に吸い寄せられて磁石でひっついたように起き上がれない。

そんなことはさておき、星新一の「おーい でてこーい」の穴は物質的なものを廃棄していつかしっぺ返しを食らう環境問題や成長経済の問題のメタファーだけでなく、人の感情的な廃棄物のしっぺ返しのメタファーとしても捉えるのはいかがだろうかという話だ…というか大きなしっぺ返しが起こる前に「穴」本人も他の人も気をつけられないだろうかと思うが。

前者と後者ではまったく次元が違う話かもしれないが、数多なる物質や情報が氾濫し、人々が物理的のみならずサイバー空間的にも所狭しとせめぎ合う現代社会で、「感情の不法投棄」は一つ一つが小さな規模で起こっているかもしれないが、総量として膨大なものとなり、生きづらさを感じる人々や鬱病患者の増加など、大きな「損害」を引き起こしているのではないかと思ってみたりする真夜中3時なのであった。


ちなみに星新一の「おーい でてこーい」はだいぶ前に読んであらすじがうろ覚えだったのでこちらのサイトを参考にさせていただいた。↓

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