ゲイ男性を加害者に仕立てる「家父長制」。愛欲を押さえつけらされた彼らと、その家族の苦悩を描いた『叔・叔』【後編】
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加害者を生み出す家父長制
映画『叔・叔』における主人公の柏(呼び名)と海(呼び名)のジレンマと苦痛は、間違いなく作品の核心部分であり、映画のほとんどの時間は、彼らの関係と心境の変化を描くために使われている。
一方で、柏と海のそれぞれの家族に対する描写も非常に重要だ。なぜなら、高齢者のゲイの生きづらさを描くために、「家族」という要素は不可欠だからだ。
実は、柏の妻・清は長い間、柏の秘密に気づいていた。
柏に愛されていなくても、何十年も一緒に暮らすことで、清は柏を深く理解するようになる。
娘の結婚式の終わりに、柏は海と握手して別れを告げた。柏と海のその一瞬の動きだけで、清はふたりの関係を理解した。そばに立っていた彼女の目には、隠せないほどの悲しみがあふれる。
柏が退職を決めて、眠れずにバルコニーに立って窓から外を眺めていた夜、ベッドに横たわっていた清も眠ることはできなかった。夫の背中を見つめながら、彼女は無言で泣いていた。
東アジアの根深い家父長制は、性的マイノリティとなるゲイ男性を抑圧し続ける一方、別の意味で彼らを加害者に転じさせる。
言うまでもなく、同妻(相手の性的指向を知らないままで同性愛者と結婚してしまう女性)の問題は、女性をゲイ男性が社会規範の圧力から逃れるための道具として使い結婚を結ぶ、という風に読み解くこともできる。
しかし、同妻の痛みを生み出す原因をすべてゲイ男性のせいにはできない。性的マイノリティがカミングアウトできる余地を与えない過酷な社会環境において、一部のゲイ男性は仕方なく女性と結婚することを選ぶからだ。彼らも家父長制社会に抑えられてきた絶望の窮地に追い込まれる犠牲者でもある。
非難すべき対象は、家父長制の下で苦しんでいる個人ではなく、これらの悲劇を生み出す制度そのものではないか。
家族にカミングアウトできない理由
海の息子・永も、父親の性的指向について何も知らないというわけではない。ただ、彼は見て見ぬふりをしてきた。
キリスト教の教義では、同性愛は許されない罪とされる。香港のキリスト教信者は、自分が性的マイノリティであることがばれてしまえば、教会で孤立することはもちろん、日曜の礼拝で罪を認めさせられたりするケースも少なくない。
同性愛嫌悪の傾向が強い教会は、さらに性的マイノリティの信者たちを強制入院させて「転向療法」(性的指向を変えようとする強制治療)を受けさせることもある。永は父が家族の外出や教会の集会を頻繁に欠席する理由を知っていたにもかかわらず、何も言わなかった。
本作の終盤部分に、海が自身のスマホで、ゲイの友人が大衆の前でスピーチを行う動画を見ていたシーンがある。ドアの外に立っている永にはスピーチの内容がはっきりと聞こえていたが、彼は部屋に入って父を詰問するのではなく、ドアをノックして「孫娘も眠ったから音量を下げてください」と海に頼むだけである。
海は慌てて動画を閉じ、ベッドに横になって寝ているふりをした。ドアの外から息子の足音が聞こえなくなったことを確認した後、海はそっと目を開く。無言で窓の外を眺める海の顔には、悲しみが溢れていた。
今よりも性的マイノリティに対する理解が浅かった時代に生まれた海は、性的マイノリティとしてこの世で生きていくことの苦しさをよく感じてきた。したがって、海は息子に同じ苦しさを感じさせたくないのだ。
息子に真実を打ち明けることは、息子を自分と同じクローゼットに入れてしまうことと同じだ。そうなると、海が感じてきたこの生きづらさは、家族全員のものになってしまう。
香港の社会学者である周華山氏(2013)は、著書の中で次のように述べている。
つまり、当事者の家族がカミングアウトという選択に反対する理由は、「同性愛が悪い」と思っているからとは限らない。
柏の妻・清と海の息子・永が柏と海の性的指向について黙っていたのにも、多かれ少なかれこのような原因があるかもしれない。しかし、このまま黙っていれば問題は起きないだろうか。
柏と清にとって、知らぬふりをすることはただお互いをもっと苦しませていくだけだ。海と永にとって、知らぬふりをすることは二人をより疎遠にする。
ただし、問題を回避したことを彼らのせいにするわけにもいかない。上記のように、個人が置かれた社会環境で生き延びるために行う仕方のない選択は、決して「勇気のない臆病者の選択だ」と非難されるべきではないと思う。
高齢者は愛欲を求めるべきではない?
柏も海も伝統的価値観で言うところの“父親”としての役割を受け入れたが、すべての高齢者のゲイ男性が同じ選択をするわけでもない。柏と海の関係を描いたメインライン以外にも、『叔・叔』には他の高齢者のゲイ男性の生活を描くサイドラインもある。
例えば、海がコミュニティセンターで知り合ったディオールと超という二人についての描写は、年配のゲイ男性の生活状況を別の角度から描いている。
他の高齢者とは異なり、ディオールは積極的に社会活動に参加し、高齢者のゲイの権利保護のために積極的に活動している。こんな彼は自然とコミュニティの「リーダー」になり、若いゲイ男性のソーシャルワーカーと一緒に公衆の前に立って、自分と仲間たちの生きづらさを社会に語っている。
ディオールは、ソーシャルワーカーと彼一人だけの努力では社会を変えることができないことをよく知っている。コミュニティのイベントで、彼はいつも他の高齢者たちに「一緒に公衆に向かって話をしよう」と誘っているが、参加してくれる人はほぼいないのだ。
一方、超はレインボーパレードに参加した際に写真を撮られたことが原因で、近所の人たちに自分がゲイであることが知られてしまった。他人に噂されるのが嫌だから、それから LGBTQ+の活動に参加しないことに決めた。
超というキャラクターは、「独身」「老年」「性的マイノリティ」という三重のアイデンティティが交差したインターセクシュアリティ性を持っている。そのインターセクシュアリティ性が原因で、彼も複雑で深刻な差別と疎外の問題に苦しんでいる。
まだ若かった時、超は異性愛者のふりをして女性と結婚することを選ばなかった。したがって超には、柏と海が直面するジレンマはない。しかし超は独身の年配のゲイの男性として、養老の問題に悩まされている。
超の独身生活はかなり大変だ。持病のせいで、彼は定期的に病院に行く必要がある。超を病院から家まで送る海は、超の家の光景に呆れた。暗くて湿気がすごいアパートの壁にはひびが入っており、室内にはエアコンの代わりに使われてきた古くて安っぽい換気扇しかない。
養老の問題に直面しているのは、年配のゲイ男性だけではない。しかし、同性愛者という特別な身分は、これらの孤独な老人の生活をさらに厳しくする。若い頃であれば一緒に暮らすパートナーを見つける機会があったかもしれないが、ゲイに対する激しい社会的差別のため、愛する人と生活することはできなかった。
自分たちの心を騙して他人を傷つけることをしたくないから、彼らは独身という選択をした。しかし、いわゆる異性愛主義の規範が主流になっている社会は、未婚の独身者にとってはかなり生きづらいものだ。独身であることは、老後の生活に備える必要があることを意味している。たとえ高齢者のゲイたちが十分なお金を貯めてきても、心の底に長年隠されている「愛されたい」という欲求は、実現されないのだ。
なぜなら、多くの人は「高齢者が性的欲求と愛欲を求めるべきではない」と思っているからだ。高齢者に対するエイジズムという差別は「高齢者は魅力的でない、または性的に孤立したグループである」という信念にも反映されている(Wilkinson&Ferraro、2002)。
性的マイノリティという特別な身分と相まって、ほとんどの年配のゲイ男性はパートナーと愛し合う生活を送るという望みを、人生の終わりにおいても実現できないのだ。
時代の波に飲み込まれた彼らのため息
『叔・叔』のストーリーはフィクションである一方、現実世界の年配のゲイ男性たちの生きづらさをとても忠実に再現している。一方でインターネット上には、柏の妻に対する不倫行為を『叔・叔』が正当化しようとしているという批判が多く見受けられた。
社会の圧力によって偽りの婚姻を結んだ柏と海も、それを選ばずに独身のままで生きて来た超も、どちらも結局望ましい生活を送れているというわけではない。
そのため、生活の為に偽りの婚姻を結んだゲイを責める言説は「独身で生きて孤独で貧しい生活を送ってください」と等しい言い方だ。個人を責めるべきだけでは、この「同妻問題」を解決することができず、ただ苦しみを誰かに移して背負わせてるだけなのではないだろうか。
社会の性的マイノリティに対する態度は、現在でも楽観視できない。柏と海がそれぞれ結婚した数十年前、彼らに対する差別は言うまでもなくさらにひどかった。
ゲイ男性に「他人を傷つけないで、愛していないなら結婚なんてしないで」と言ってしまったとして、彼らは自分の存在が認められない社会でどう生きていけば良いのだろう。社会を変えることを怠りながら、彼らにこう要求すること自体が極めて理不尽なことだと思う。
性的マイノリティによりフレンドリーな社会はきっと未来にあると信じている。しかし、伝統的価値観の規範に縛られて苦しんできた老人たちの声も、私たちは決して無視してはいけない。
時代の波に飲み込まれた無言のため息、社会に排除されてきた老人たちの生きづらさは、私たちに認知され、そして記憶されるべきだ。
前編はこちらから。
執筆者:袁盧林コン/Lulinkun Yuan
編集者:田中真央/Mao Tanaka、三井滉大/Kodai Mitsui