質問力で、自分の世界をひろげていく
最近は、通訳案内士の試験にむけて勉強をする日々。
すごく意欲的に勉強していて、正直いうと英語よりも俄然社会科目の勉強の方がたのしくなってきている。
「甘えて地理の勉強」って言うほど、気付いたら地理の勉強がたのしい。
そして仲良くなれなかった日本史の勉強さえも、楽しくなってきている。
(Twitterの名前を「@社会科目がすきな人」に変えたいくらい)
だけれど、学生時代は社会科目が一番の苦手教科だった。
高校3年生の前期、なぞの好奇心からテスト勉強を一切しない状態で、テストを受けてみた。
中学生の頃は成績上位、高校生になってもまずますくらいの成績だったため、授業を聞いただけの状態ではどの程度なんだろう…という興味があった。
(決して、テスト勉強がしたくなかったわけじゃない…という言い訳。)
結果としては、暗記していないと答えられない問題に関しては、なかなか全滅だった。
「暗記科目」と思っていた社会科は、見事に赤点だった。
普段、めちゃくちゃ頑張っても80点未満だったけれど、勉強しないと30点にすら満たないのかとびっくりした。
そして改めて、社会科目って本当に苦手だなぁと自分の経験を通して思い知った。
そんなわたしが、ここ最近急に社会科目がたのしくなってきたのには理由がある。
そのひとつに、わたしの視点が変わったことがあげられる。
学生時代は、国内においても行ったことない場所が多すぎて、日本の話をされていても異国の話をされている状態に等しかった。
東北地方出身のわたしにとっては、西日本はあまりにも遠すぎた。
それでも日本史に出てくる土地は、西日本が多くて関ケ原や下関といまでも存在している土地さえも、どこにあるの?いまもあるの?という状態だった。
(都は京都と思っていたけれど、実際は遷都されているので京都だけではなかった。そして、京都の場所が分からなかった)
それが今の年齢になってみると国内旅行を経験しているため、京都の場所もわかる上に、二条城に行けば「ここで大政奉還が…!」と急に異国の地から、自国の歴史なのかと実感ができるようになった。
そのほかの歴史的な出来事や建造物に関しても、ここがあの!これがあの!という感動を覚えたり、まだ行ったことない土地にはいつか行きたいなぁなんて思いを馳せることができている。
そして、いろんな天皇がでてきてややこしいな、源氏がえばっていたのに急に北条家がでてきたな、なんて思っていたけれど、俯瞰してみるとみんな親族だったりする。
暗記することには変わりはないけれど、起こった出来事には理由があって、その出来事の結果、変化していくことがある。
そんな風に歴史を紐解いていく中で、なんだかすごく楽しくなってきてしまった。
今まではそんな「できない」に対して、なんでできないんだろうと思ってきた。
あぁそうか、社会科目が苦手なんだ。
そう思ってからは、完全に思考が停止した。
苦手だからできない。なにも不思議なことはないでしょう?という具合だった。
だけれど、今回は資格を取るために勉強を開始した時に考えたことは「どうしたらできるようになるだろう」ということだった。
その結果、流れを掴んだうえで大事なことを要所要所でまとめてみたり、主権者の変移をみてみたりと打開策が見えてきた。
「なぜ?」を繰り返すと物事の真理や本質にたどり着けるという話を聞いたことがある。
それでも自問自答で「なぜ?」を繰り返したときに、答えに詰まってしまったり、結果的に迷子になってしまうこともある。
相手がいることでうまく答えを引き出せることでも、自分ひとりでは時々すごく難しい。
そんな自分に問いかけえるのは「どうやって?」の方が合っている気がする。
「どうやって?」の答えには、打開策や行動案がセットになるから自ずと変化しなくてはいけなくなる。
その変化の積み重ねで、自分の世界は変わっていく。
思いがけない視点で物事が見れるようになったり。
嫌いだったことが、悪くないように思えてきたり。
楽しくないことの楽しみ方がわかったり。
できなかったことができないままでも、気持ちの切り替えがうまくできたり。
自分の視点や世界は、いくらでも自分で作り上げられる。
そんな発見の毎日を体験していくことで、偶然にも新しい何かに出会えたりもする。
すきも、きらいも、たのしいも、苦手も。
きっと自分のいる世界によって感じさせられている。
もしかしたら今、自分が感じているよりも世界が輝く瞬間があるのかもしれない。
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