見出し画像

好きって、人それぞれだから自分の答えがあればいいと思うんだよね


「好きを仕事に」
「好きなことで生きていく」

そんな言葉をよく聞くけれど、そもそも好きなことが見つからない。
そういう人もたくさんいると思う。

むしろ、好きを仕事にする風潮になってきていることで窮屈に感じてしまうこともある気がする。
夢がなきゃいけないとか、仕事でわくわくしていないといけないとか、好きな人が好きでやればいいようなことまでも、正解がそれしかないようなプレッシャーもある(ような気がする)。

好きなことが思い浮かばない人も、いまの仕事が好きなわけじゃないけど不満もない人も、それはそれでいいよねって思っている。


さて、「好きを仕事に」という考え方にすこし向き合いたい。

わたし自身は、公私混同したいと思っているから「仕事だから…」と割り切ることが苦手だったりする。

お給料に見合った仕事をするというよりも、愛情も情熱も全部注いで仕事をしていたいし会社から出ても仕事のことを考えているし業界の情報収集をしたりしている。
良くも悪くも、仕事へのオンオフが切り替えられないで過ごしている。

だからこそ、自分の譲れない「好き」と向き合う必要があった。


その時に考えたことは3つ。

・一生涯関わりたいこと
・無意識に継続していること
・だれかに反対されてもやめられないこと

そうやって考えてみたうえで、「好きかどうか」「仕事にできるかどうか」を見極める前に、まずは思いつくことを羅列してみる。

このことについては、前のnoteでもすこし書いてある。

自分のことって、案外知らないものだなぁと改めて思う。
普段の生活を見直してみると、改めて思いつくことや初めて気付けることがあるはず。

ただ1つ気を付けたいことは、ただぼんやりしている行動と好きを結び付け方を間違えると「好き」への認識を間違えてしまう。

例えば、時間があったらテレビをつけているという人。
テレビを観ている時間が「暇つぶし」なのか、テレビを観て「わくわくしている」かによっても変わってくる。

もし暇つぶしなのだとしたら、テレビは暇なときに見るという認識になっているはず。
そういう考え方で、仮にテレビ局で仕事をしても「テレビ=暇」の考え方がどこかにある。
仮にわくわくしている人が、テレビ局で仕事をしたら「わくわくした視聴者の気持ち」が分かって仕事をする分、情熱も膨らんでいく。

テレビが好きなのか、テレビの出演者が好きなのか、ジャンルが好きなのか、もしくは座っている場所が落ち着きが良すぎてリラックス時間が長いのか、普段の行動にも理由がある。
自分の行動と向き合うと、好きの本質が意外なところに見つかることもある。


また、いまの日常や仕事に不満がないけれど、「好きを仕事に」しているのか分からないなぁと思う場合は、いまの状況をもっと楽しんだらいいのかなぁと思う。

例えば、ゲームが好きな人なら仕事のノルマや人間関係をゲーム感覚で脳内変換をしてみる。
この「人生ドラクエ化マニュアル」は、まさに人生をドラクエのように脳内変換している様が書かれている。

筆者はゲーム会社に勤めていて、ゲーム好きでゲーム会社に勤めたら「好きを仕事に」ということを体言できている感じもするけれど、ある日思ったらしい。

「人様のテレビゲームを作ってる場合じゃない!
自分の人生をゲーム化するほうが先決だ!」

これは極端な例ではあるけれど、自分の好きなことで脳内変換をしていけたら黙々と繰り返していたことが刺激的になる。


こんな風に、いろんなことを羅列したり、脳内変換をしてみるうちに、案外いろんなことを経験したり、すでに持っているんだなぁなんてことにも気付く。

それでもまだ見つからないのであれば、まだこころ踊る経験をしていないだけなのかもしれない。

夢をかなえるゾウの一節に、こんなやりとりがある。

『そや。もうこれは絶対やねん。自分、ラーメンは何味が好き?』
「ラ、ラーメンですか?」
『ええから答えろや。ラーメンは何味が1番好きや?』
「僕はとんこつ味です」
『お、ワシと一緒やな。で、質問やけど、なんで自分はとんこつ味が1番好きて分かるんやろな?』
「それは、他の味と比べたからとんこつ味がおいしかったからです。」
『せやろ。つまり『ラーメンの他の味を食べた』からわかんねん。最初とんこつ食べて『そうでもないな』って思う場合もあるっちゅうことやねん。つまりは『経験』や。全部経験しとるから、選べんねん。自分にどれが向いてるか分かんねん。でも、自分ら、1番大事な仕事に関しては、全然経験してへんやないか。生まれてから死ぬまでずっと同じ味のラーメンしか食べてへんやん。ええか、ラーメンにはな、塩味もあるんやで、味噌味だってあるんや!とんこつ醤油いうのもあるんや!』

なにかを好きになるためには、経験が必要になってくる。

好きなことを繰り返していくことなのか、違うことを経験して改めて気付くことなのか、はたまた違うやり方かもしれない。
それでも、経験なくして好きとは言いにくい。

好きって、それぞれが思い描く気持ちだから正解ってない。

だからこそ、自分がこれだって思えることを理解してもらえないことだってあるけれど、自分の答えがあるならそれでいいと思う。



わたしの「好き」を見つけた方法を紹介。
(もともとは軽く紹介の予定が、長文になったので「軽く」の部分を変更して思い切り長文で書いてみた)


\Twitterしてます/

◎noteを「スキ」すると、次回予告noteが見れます◎



ここから先は

2,551字

¥ 300

この記事が参加している募集

サポートありがとうございます! とても励みになります( ¨̮ ) いただいたサポートは、今後のnoteに生かすための経験や他のクリエイターさんへのサポートに回していきます。 note内でやさしい循環を築きたい。