1年の継続を経て
Twitterで発信している「2分スピーチ」が
5月5日をもって1周年を迎えました。
1年間、なにかを続けることって人生で初めてかもしれない…
いや、初めては言い過ぎだけれど、
自分の意思で初めて自分の意思で続けることって
人生においてそもそもあまりない。
学生の時はテストがあるから勉強していたし
部活動も時間が来るからやっていて、
習い事も同じような感じだ。
♢
先日、こんなツイートを見つけた。(ニュアンスだけ引用)
楽しいこと、すきなことじゃないと努力が続かない。
無理にやらされていることはつらいよね。
言いたいことも考えていることもわかる。
わたしも以前はそう思っていた。
継続できるのは「すきなこと」「たのしいこと」だから。
でもいざ1年継続してみて思うことは、
すきなこと、たのしいことでも
苦しくなることもあるけれど
それでも続けるからこそ力になる、ということ。
♢
例えば、映画鑑賞が趣味だとする。
毎日、何本でも映画を見れる。
たのしい気分の時も、かなしい時も映画が救い。
その継続には苦痛はないかもしれない。
その時に得た知見やすきを活かした仕事に就いたとする。
趣味から仕事に変わった時に
たのしいだけではなくなる瞬間が絶対訪れるはず。
たのしいこと、すきなこと、
そこだけから少し抜け出すときには
新しい感覚が芽生える。
それが苦しさや、違和感の場合もある。
それでも、そこと向き合うからこそ
それでも、続けていくからこそ
またたのしさや好きな気持ちが芽生えていく。
♢
状況によってはたのしいこと好きなこと以外で
継続しないといけない場合もあると思う。
すきなことを継続できる環境にいるのはしあわせなこと。
それでもこの1年間、たのしいだけじゃなかった。
なんのためにやっているんだろう?と何度も思って
やめてしまっても誰にも影響を与えないと思って
SNSに時々ものすごく疲れて、何度か離れて
それでもまた始めよう、ということを繰り返す1年間。
そして気付いたこと。
たのしいこと、好きなことだとしても
「継続すること」自体がたのしいと感じていないのならば、
継続することが苦しいことなんだよね、ということ。
でも苦しいことって「慣れていないだけ」の場合もある。
苦しいこと=成長のチャンスではないけれど、
成長のチャンスは苦しいことの中にもちゃんとある。
たのしいことの中にもあるけれど、
たのしいだけでは気付けないことがあるはず。
どんなことを頑張るのか、
どんなことへの苦しみに向き合うのか、
そこの判断は大切だと思っていて、
苦しいことを何でも耐えればいいとは思っていない。
苦しいことをどうやってたのしむか、
それが大切なことをのひとつだと思う。
2年目に突入して
きっとまた新しいことが見えてくる。
目の前のことと向き合って
日々を楽しんでいきたい。
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