再会を繰り返すのが人生だから
久しぶりに昔の恋人の夢を見た。
すごく大好きな人だったから、まだ夢に出てくるものなのかとびっくりしたし、嫌ってほどもう2度と会えない人なのは分かっているので夢の中で「こんな展開あり得ないな」って違和感に気づくくらい、楽しく会っている本来なら幸せな夢。
起きて改めて、もう2度と会うことはないんだろうなぁなんて思い出に浸ってしまった。
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年齢を重ねて思うことは、新しい出会いの機会が減ってきているなぁということ。
それはつまり、「再会」の機会がどんどん増えてきているということ。
恋愛だけではないけれど、縁がある人とはまたどこかで再会するなんてよく聞く言葉は昔信じることができなかった。
だけれど、年々、その言葉を実感するようになってきている。
先日会った幼馴染もそうだけれど、何度も会っていた幼少期や同じ環境にいた高校・大学ではほとんど話すことがなかったのに、今になって1年に1回くらいだけど「そろそろ会おっか!」とお互いが思えるのは縁があるからなんだと思える。
話している空間の心地良さや、仕事や恋愛、くだらない話まで一通りなんでも話せたり、第二言語を学ぶ仲間でもあるからこそ、なんとなく"合う"。
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大好きだった昔の彼に会いたいとは思わないし、会えなくてもいいけれど、もし縁があるんだったらどんな形でもまた会うことになるんだと思う。
大好きだった彼だけではなくて、なんとなく疎遠になった友人や、深い話ができないままになってしまった人たちもきっとそう。
求めようと思えば新しい出会いは生み出すことはできるけれど、縁ばかりはその時の自分とそこからの自分の変化次第だと思うから。
生み出すのではなくて引き寄せてしまう、結果論。
それでも再会を繰り返していくのが人生なんだと思うから、見かけるたびに会うたびに進化しているおもしれー女になりたいなぁとふと思った。
爆笑するような「面白い」ではなくて、話すたびにおもしろさが滲み出るような、「やっぱお前おもろいな」ってボソッと言いたくなるような。
人としてそうありたいけれど、やっぱり女性であることも大切にしたいから。おもしれー女。
そんな進化を遂げることができたら、散々な恋愛の末路だったとしても悪くなかったって思ってもらえる気もするし。
もう会えなくても、きっとまだまだ頑張るんだろうなって思ってもらえる気もする。もう2度と会えない可能性があるのが人同士だから、せめて最後に会った時がその人の中で最高のわたしでありたい。
そんなことを思ったら、ちょっと心が無敵モードに入れた。
そんな朝だった。
メモ:
次会うのが楽しみになる「おもしれー女」進化論。
なりたい自分が定まると、今日の過ごし方も変わってくる。