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(非)幸福論

「幸福論」と向き合うためにも、「そうじゃない部分」からも目をそむけるわけにはいかない。 「不幸」ではしあわせが足りていないことになってしまうから、しあわせじゃない部分ということで…
普段は客観視して書いているnoteだけど、このマガジンでは主観的にてお届け。簡単にいうと、わたし自…
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#生き方

絶望の隣で眠る夜だっていいじゃない

2020年に入ってから少しずつ、自分の中にあったあずの感情が抜け落ちているような心地で生きていた。 すり減ったり、擦り切れているわけではなくて、自然のことのように消えていく感覚になっていた。 元々の性質的に、感情の起伏が激しいことはなくて、基本的に笑っている方なので、感情というものがそもそもあったのかさえも定かではないんだけれど、少しずつ溶け出しているような心地。 それが先日久しぶりに絶望を感じていた。 なにが起きたわけでもなく、いつもと変わらない生活をしていたのに急

好きって、人それぞれだから自分の答えがあればいいと思うんだよね

「好きを仕事に」 「好きなことで生きていく」 そんな言葉をよく聞くけれど、そもそも好きなことが見つからない。 そういう人もたくさんいると思う。 むしろ、好きを仕事にする風潮になってきていることで窮屈に感じてしまうこともある気がする。 夢がなきゃいけないとか、仕事でわくわくしていないといけないとか、好きな人が好きでやればいいようなことまでも、正解がそれしかないようなプレッシャーもある(ような気がする)。 好きなことが思い浮かばない人も、いまの仕事が好きなわけじゃないけど不

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過去の自分にもう一度出会ってみた

昔に書いていたブログを読み直したり、昔のnoteにある誤字を修正しながら最近はゆったりと過ごしている。 自分が体験したうえで綴ったことなのに、案外忘れていることがあるものだなぁなんて思う。 あんまに落ち込んだり、あんなに悩んでいたことも、忘れてしまっていたこともたくさんあって、嬉しかったことや乗り越えたあとに笑ったことの方が覚えていたりもする。まぁ、それさえも忘れてしまっていることも多いけれど。 オーストラリアのワーキングホリデー2年目に突入した時、かねてより決めていた「

不安はいつだって隣にいた

急に落ち込みの波がぐっと来た昨夜。 それはこのご時世だからなのか、仕事を辞めたからなのか、体調が理由なのか、思いつく原因は山ほどある気がする。 それでも毎日変わらずに1日は24時間流れているし、生きているだけでお金は減るし、不安に感じたって絶望的になったって朝はいつもやってくる。 そんな日は急に、いろんなことが嫌になってしまう。 急にやさしくできなくなったり、そうなると人に会いたくなくなったり、どんどん気持ちがわかりやすく沈んでいく。 いろんなことが制限されている状態だ

日々の過ごし方が習慣になっていく

休みの日も外に出がちなわたしにとって、家の中で過ごすことが24時間を越えることってすごく珍しい経験。 家の中でできる読書や勉強も、基本的に家から出かけて図書館やカフェですることが多かった。 そのため、家の中で過ごすことが増えて感じることは『時間の感覚がなくなる』ということだった。 まだ会社に勤めている時でも、リモートワークになってからは一人暮らしということもあり、動いているものは自分だけで気付いたら暗くなっている…という生活になった。 会社にいたら、誰かと話したり、周りの

紡いだことばたちは、紛れもなくわたしの一部分

noteを書いていると、なんだか遺書を書いている気持ちになるのは果たしてわたしだけかな。 というのも、暗い話をしようというのではなくて、noteに書いていることばにはちゃんと意思があって、ちゃんと自分自身のことばで書いているからそんな風に感じているんだと思う。 SNSが発達したいまの時代だからこそ、発信することが全てではなくて、発信しない発言しないことも選ぶ必要がある。 沈黙が強い肯定を表すように、発言しないことで際立つことって絶対的にある。 だけど文章を書くときに、「