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道東原付爆走旅行その3 別海・弟子屈・川湯温泉

知床~別海のその2はこちら
三日目の今日はいろいろ見て回ったので写真が中心になります。

別海パークホテルで目覚める。寒い雨の夜にたどり着いたのもあって寂しいビジホだと思っていたが、部屋を出てみると子どもたちが階段で遊ぶ声が聞こえ、なぜだがとても嬉しくなったのを覚えている。 

何もなさを裏付けるかの如く、ホテルに貼ってあった町のPRポスターの売り文句は「プラネタリウムのような星空」らしいが、実は別海町鉄道記念館というものがあり、廃線となった標津線の思い出の品々が展示されている。地図上で見つけ一瞬覗いていってみようと思いたったのだった。懐かしい駅名表示板や昔の新聞など、鉄道好きの旅情をそそる展示が盛りだくさんである。記念館の外には公園があり、サハリンを走っていたらしいD51や標津線を走っていたであろう車両が展示されている。

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↑趣のある鉄道記念館とD51。右端に我が相棒スクーピー。

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↑展示の一部。

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↑廃線好きにもたまらない。

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↑とても大事そうなわすれもの。発見から一ヶ月以上が経っているのが心配。

別海町。せいぜい旅の途中の経由地として泊まるだけの場所だと思っていたが、階段で遊んでいた子どもたちのおかげでいまや思い出の街である。

さて、今日は摩周湖・屈斜路湖のある弟子屈町の川湯温泉に泊まる。例によって地図を眺めながら面白そうな場所を探すと、弟子屈とは逆方面になるが別海の街から少し離れたところに駅跡があることに気づいた。とくに廃線や廃駅をめぐることを趣味としているわけではないが、そういう人たちがいることは知っている。城跡好きの知り合いとかを見ていると、何がそんなにおもろいんかと気になってくる。今の自分に理解できてないだけの、まだ知らないおもしろさはそこらじゅうに転がっているはずだ。そういうわけで廃線の世界に飛び込んでみたくなったので、まずはこの「旧JR北海道標津線上春別駅跡」に向かうことにした。

キャプチャ4本日の旅程その1。

まず町を出て驚いたこと。昨日の夜には寒く寂しい暗闇が無限に広がっていた同じ道が、一面あざやかな緑に覆われていたのだ。当然といえば当然だが、この北海道らしい草原風景を目の当たりにしたのは今回北海道入りして網走に向かったとき以来だった。天気のせいである。その中を今度はバスの中から眺めるだけではなく原付で風を感じながら走っている。爽やかこの上ない。北海道のバイク旅に本来期待していた感覚をようやく味わうことができた。

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↑当たり前のようにいる牛の群れ。記憶の中ではもっと青空だったが、それ以上の爽やかさを感じていたようだ。

さて地図によると駅跡はどう見ても目の前の未舗装路を進んだ先にある。そもそも原付でこういうところを進んでも大丈夫なんだろうかと不安になりながらもグリップを回す。やっぱり引き返そうかなと思った頃合いで茂みの中から駅跡らしきものが現れた。思っていたより接近できなかったし、夏の盛りの茂みに邪魔されてよく見えなかったが、たしかにこれはホームだ。そしてその前に広がる溝には線路が敷かれていたのだろう。かつてあった線路を想像し、前方にたどっていこうとしてみたが、すぐに田んぼにぶつかり追跡不可能となった。本当にこんな田んぼと草原しかないところに駅があったのだろうか。進む道内路線の廃止と土地利用の目まぐるしい移り変わりを思った。

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↑上春別駅跡とスクーピー。

なおこの未舗装路をのろのろ走っているときに転倒、握っていたグリップを誤って操作して倒れながら発進させるミスを犯しミラーが割れかけた。事故につながる行動をひとつ学べてよかったが、すねがえぐれた上になかなか肝が冷えた。

摩周に向かうまでに多和平展望台という草原を一望できる地点があるらしいので、そこに寄ってみることにした。

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ランチのことは全く考えていなかったが、ここに展望台のほかレストランもあったのでここで知床鶏スープカリーをいただいた。肝心の食事の写真はスマートフォンで撮っていたのだが、そちらのデータはまるごと消失してしまったのでありません。

こういうところのトイレがきれいだと人権を感じる。道東を原付で旅してワイルドになった気でいたが、結局自分はきれいなトイレがないと落ち着けない側の人間なのかと思うとがっくりきてしまう。沢木耕太郎の『深夜特急3』で、インドで手を使って大便の処理をできるようになったくだりで「しだいに自由になっていく感覚」「ものから解放されていく感覚」があったという一節をかつて読んで、それは旅の醍醐味だよなと大いに共感したものだったが、できないと思っていたことができることもあればやっぱりできないこともある。旅によってただできることや感じることが増えるという認識は正しくなくて、道中自分というものの境界線を伸ばしたり縮めたりしながら、だんだんと身の丈が把握されてゆく過程が旅にあるというだけなのだろう。

売店の飲むヨーグルトの消費期限が「1.8.17」という見慣れない表記になっていて、改元して令和になったことを思い知らされる。十分に休んだのでそろそろ摩周湖に向かうことにする。道中道の駅に寄って情報を集めたり、給油するなどした。

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摩周湖も例によって晴天ではなかった。第一展望台に着き摩周湖を一瞥し、次の瞬間には自分が売店の土産ものに視線を落としていた。ああ、疲れに一時的に好奇心を殺されているんだなと気づいた。摩周湖という観光地にあって、旅行と無関係の友人たちとのグループLINEに別に後でもいい返信をしている。今日はまだ先も長いのだ。とりあえず第三展望台に移動することにした。

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第三展望台は第一展望台より小規模で、売店などもなくより近くから湖を見渡せる印象だった。道東特有の植生のせいか、盛夏の緑も湖の青も純度が非常に高く、美しい光景だと思った。そこに佇む白樺、死んだ木の幹の彫刻のようなポージングの物寂しい趣。知床峠のときから思っていたが、自分は死んだ木フェチなのかもしれない。そう考えながら外界への関心が戻ってきたのを感じた。

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↑絵になる死んだ木

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次は摩周湖から下り川湯温泉を目指す。宿もほど近くにあるのだが、チェックイン予定の18時までにはまだ時間があるので先に硫黄山を見に行くことにする。

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硫黄山は想像以上にすばらしい場所だった。当時は知らなかったが、ゴールデンカムイによると硫黄採掘のために使われた囚人たちのなかにはガスの影響で視覚を失う者も多かったのだとかいう場所だ。ごく間近で温泉やガスが吹き出しているさまを観察できる。吹き出すお湯は本当に熱いので気をつけよう。

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色とりどりの鉱物、生まれたままの硫黄結晶! そしてよく見ると、これはきっと化学の授業で習う硫黄の同素体のうちの一つ、「単斜硫黄」ではないか!本当に針状に析出しているんだ!と感動した。周囲には死んだ木もごろごろ転がっており、この地獄のような環境からも少し離れればたちまち緑に覆われているかと思えば、そんな地獄に好んで生息するイオウゴケという地衣類の存在も知る。海底の熱水噴出孔のまわりにも生態系があるくらいだ。自然環境の多様さと同時に生命の底知れなさを垣間見た。

硫黄山をひとしきり楽しんだ時点で4時前になっていた。チェックインは夕食の都合で6時までに済まさねばならず、次に行こうと思っていた場所までは移動だけで往復2時間ほどかかる。なんともいえない時間だった。MPが多少回復したとはいえ疲れに圧倒され動き出せずにいたところで、網走で会った同僚たち(その1参照)に再びこの地で遭遇を果たした。彼らも北見でのイベントの後道東を観光していたことは知っていたが、広大な道東で観光地も数ある中、場所もタイミングもかぶるとは不思議なものだ。聞けば次に向かう場所も自分と同じ神の子池だというので、やる気をひねり出して足の遅い原付の自分だけすぐに出発することにした。彼らは硫黄山観光ののち車で向かうので、だいたい同じ時間に到着することになるだろう。

神の子池は青い清水をたたえた池という触れ込みだった。天気も良くなくて見栄えも目減りしそうだし、そもそもこの手の観光地はたいがい誇大広告なんだよなーとあまり期待しないで向かった。最終的に未舗装路を2キロほど進むことになり面食らったが、間違いなくやる気を出して向かって正解だった。嘘偽りなく奇跡のような青い水をたたえた池がそこにあった。

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やがて同僚たちも合流した。私含め全員が理系大学院生の集団なのだが、解説板を見て延々話し込んでもこの青の不思議は解き明かしきれず、ただただ驚嘆するしかなかった。冷たい伏流水が湧き出し年中水温がかなり低いために沈んでいる樹木も腐らずに時間が止まったようになっているらしい。

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同僚たちと別れ、急いで宿に向かう。神の子池から宿までは約1時間、現在時刻17時18分。申し訳ないことに6時には確実に間に合わないが、まあそれで死ぬことはないだろう。と思いながら走っていると強めの眠気が襲いかかってきた。全力で歌うなどして睡魔に抗いつつ宿になんとかたどり着いたが、おやっさんが一人でやっている小ぢんまりとした宿のため、6時を過ぎて着かれても夕食準備で忙しくて相手なんてしてらんないよとあしらわれてしまう。電話一本入れる発想にも至らなかったのが今思えば不思議だが、怒られの発生に小さくなりながらロビーで待った後、鍵をいただき部屋に荷物をおろした。ようやく三日目が終わった。(宿まわりの写真は失われました)

夕食は他の宿泊客と一緒にコの字型のカウンターを囲み、サッポロビールとともに中でおやっさんの焼く串焼きなどを楽しんだ。宿泊客との交流を重視するタイプの宿およびおやっさんであり、食事の後も共用スペースで飲み会をやったり、希望者を徒歩圏内の温泉まで連れて行ってくれたりした。他の宿泊客はフランス人男性二人組、韓国からの三人家族、天文好きの医者のおっさん一人だった。温泉へはおやっさんとフランス人二人と行き、借り切り状態の大浴場で騒ぎ帰りにバカな写真を撮った。基本的に英語でのコミュニケーションとなったが、研究で一応英語を使っている自分よりもカタコトのおやっさんのほうがよっぽど上手く彼らと交流できていていくらかヘコんだ。まあ自分に生きた英語が見についていないというよりも、おやっさんのコミュ力が圧倒的だったというのが実情だろうが……。おやっさんは医者と協力して狐の疥癬を治療しその成果が論文になったこともあるという。活力にあふれている。理想の老後の過ごし方その1といえよう。

明日には釧路空港から関東に帰るので、今日が道東の星空を見る最後のチャンスだった。しかし本日の予報もまったく絶望的だった。星空は早々に諦めることにしたが、摩周湖、屈斜路湖では明け方に雲海が見られるという情報を道の駅でつかんでいたので、やはり期待は全くできないものの明日は4時頃に起きて屈斜路湖ビューポイントのハイランド小清水725に行ってみることにした。

その4に続きます。ついに原付を返します。

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