くちびるにシガール【#私とヨックモック 松井玲奈さん】
ヨックモック公式noteでは、お菓子を愛する方々による読み物企画「#私とヨックモック」をお届けしています。
今回のゲストは、役者・小説家の松井玲奈さんです。松井さんは、幼い頃からヨックモックのお菓子に馴染みがあったといいます。いただくことが多かったというシガールを初めてご自身で購入した日、頭に蘇った記憶とは?
<書いた人:松井玲奈>
役者・小説家。愛知県出身。2008年デビュー。主な作品は連続テレビ小説『まんぷく』、大河ドラマ『どうする家康』(NHK)など。今年は連続テレビ小説『おむすび』(NHK)、『オクトー ~感情捜査官 心野朱梨~Season2』(読売テレビ・日本テレビ系)にも出演。2019年に初の単行本『カモフラージュ』(集英社)を刊行し、小説家としても活躍中。
初めて購入した、自分のためのシガール
甘いものを食べる時間が何よりも好きだ。頑張ろうと気合を入れる時、一息つきたい時、お祝いの時。人生には甘いものが欠かせない。
大人になって出会ったお菓子もあれば、幼い頃から慣れ親しんだお菓子もある。ヨックモックのシガールとはいつ、どこで出会っただろうかと記憶を辿った。きっと仕事の現場で差し入れにいただいたのが最初だったのではないだろうか。さまざまな差し入れの中でもブルーの缶の中で整然と並ぶシガールは一際目を引き、自然と手が伸びていたように思う。細長いシガールを割ってしまわないよう、手の中に大事に包み込んで楽屋まで持って帰っていた。
思い出を辿っていると無性にシガールを食べたくなって、スマホで一番近いヨックモックを検索する。なんと渋谷だけでも三店舗もあり、現在地から一番近くにあった東急百貨店でシガールの10本入りを選ぶ。思い立ったら買える距離にあるなんてなんて幸せなのだろうか。
店員さんが「選んでいただきありがとうございます」と濃紺の手提げバッグを手渡しながら微笑んでくれた。フロア内にはたくさんの菓子店が並んでいて、その中、否、世の中の数多の菓子店の中からヨックモックを選んでいただいてありがとうございます、という感謝の気持ちの言葉だと思うが、こちらとしては「ヨックモックにロックオンしてやってきました。選んだと言うより、シガールしか見えていませんから!」という強い気持ちである。それは胸の内に秘めておき、店員さんにふんわりと微笑み返した。
ヨックモックを選ぶときは人への差し入れのためがほとんどだった。舞台の現場への差し入れや、ちょっとした手土産に缶入りのシガールや、焼き菓子たちはちょうどいい。
しかし、手にある濃紺の袋の中には、私だけのシガールが10本も入っている。未だかつて自分のためだけにシガールを買ったことはあっただろうか? これが初めての体験である。差し入れでいだたくときは、自分の分にと取った1本を大事に、大事に食べたのに、今は10本の手持ちシガールがあるのだ。こんな幸せと贅沢があるだろうか。あのサクサク食感を今は独り占めができる。そう思うだけで嬉しさが増していき、足取りも軽くなってくる。紙袋の中で踊るシガールのビニールの音がリズムを刻む。大人になったと思う瞬間はどんな時かと聞かれることがあるが、それは自分のためにシガールを買った今だと確信した。
家まで我慢ができず、渋谷の真ん中で買ったばかりのシガールを1本取り出して口にする。その瞬間、面白いことに眠っていた記憶がぽんっと蘇ってきた。
「1日1本だけ」と語る祖母の目を盗んでシガールを口にした日
幼い頃、我が家には時々ヨックモックのブルーの缶が置かれ、「いただき物だから大事に食べなさい」と祖母に釘を刺されていたことがあった。
日曜日の午後、つけっぱなしのテレビでアメリカのギャング映画が流れていた。1番偉い人が皮張りの椅子にどかりと座り白いスモークを燻らせる姿を見て、私と兄は同じことを閃いた。これはあれとそっくりだ!
兄は急いでダイニングテーブルの上に置かれたブルーの缶の蓋を開け、包みの薄いフィルムを破り長細いシガールをくちびるの間に挟む。どうだと言わんばかりに腕を組み、眉を片方あげてみせる兄の姿は、映画の中そのままとはいかないがいつもより僅かに大人びて見えた。
私も兄の真似をして一緒になってシガールを口に咥え、ぷはーっと息を吐き出してみると煙の代わりに甘い息が漏れる。甘い甘いクッキーを口にしながら、ふたりで映画の続きに釘付けになった。
くちびるの間にシガールを挟んでいると段々と口がムズムズしてくる。くちびるに触れるクッキー生地が「美味しいよー、食べると美味しいよー」と訴えかけてくるのだ。咥えた部分は少しだけ湿っていて、歯にわずかな力を加えるだけでクッキー生地が柔らかく口の中で解ける。あまりの美味しさに甘いため息が漏れる。
気がつけば兄も私もあっという間に食べ終えてしまい、もう1本と缶に手を伸ばすと「1日1本だけ」と祖母が蓋をピシャリと閉める。涼し気なブルーの缶は子どもが簡単に手の届かない戸棚の1番高いところに仕舞い込まれてしまった。
肩を落として吐いた甘い息がシガールへの恋しさを募らせる。祖母が買い物に出かけたのを見計らい、兄は椅子を使い戸棚の中からこっそりといシガールを1本ずつ取ってくれた。今度はじっくりと綺麗に焼かれたクリーム色のクッキー生地をじっと見つめながら、その甘さに身をゆだねた。
そんな私とは打って変わって、兄はテレビに夢中になったまま呼吸をするようにシガールを齧る。ポロポロと机の上に落ちるクッキーの破片さえ私には惜しかった。こんなに美味しいものを余すところなく食べないなんてお菓子に失礼だとさえ感じたのだ。
そんな記憶を渋谷の真ん中でシガールを口にした瞬間に思い出した。くちびるに触れた瞬間のあの日曜の午後の甘い空気に思いを馳せ、思わず天を仰ぐ。
シガールは幼い頃からそばにある極上のお菓子だったのだ。鼻に抜けるバターの香り、歯切れのいいサクサクのクッキーの食感はあっという間に口の中で上品な糖度で溶けていく。あの頃と変わらない味に浸りながら、私は10本入りのシガールの包みをじっと見つめていた。
長年愛されたお菓子の味が、記憶の中にしっかりと生きている
家族に「シガールを食べたことはあるか」と聞くと「覚えてないなあ」と返ってきた。
差し入れを食べるときは忙しなくしているから、正直何を食べているのか分からないまま口にしている時もあると言う。甘いものを口にする瞬間はマインドリセットの時間だと考えている私は、差し入れを食べる時間を何よりも楽しみにする人間だからこそ、その言葉に心底驚いた。
「甘いものが好きな人って、包みとか、お菓子を大事そうに見つめながら食べるよね」
まさに私は包みとお菓子を大事に見つめながら食べるタイプの人間だ。美味しいもの程じっと見つめたくなる。いつ何時も、口にしているものがどんなもので、どういった味なのか、じっくり分析し、見つめた先にもしかしたら美味しさのヒントがあるかもしれないと考えてしまうのをやめられない。
差し入れでいただいたシガールを大事に楽屋まで持っていき、自分の席に恭しく置いておく。本番が終わったら食べるんだと意気込んでステージへ向かい、その日頑張った自分へご褒美として食べる。疲れた体に甘さが染み渡り、やっぱり美味しいなあと肩の力が抜け息が漏れる瞬間が幸せの最高潮。
まあいいから息抜きに1本食べてみなさいよと、買ってきたシガールを1本渡す。薄いフィルムを破りひとくち齧ると目を開いてこちらを振り返った。
「あ、これ食べたことある」
私は満足気に頷いた。長年愛されているお菓子の味は、記憶の中にしっかりと生きているのだ。口にした瞬間、懐かしいと感じられるそんな甘さ、素朴さ。もうひとくち齧った人は美味しいねと満足気だ。無意識に食べていたとしても、体はちゃんと美味しかったことを覚えているのだ。
「ゆっくり休憩でもしようか」
あったかい飲み物を入れて、シガールをいただく。美味しさに浸ってふっと漏れる息の甘さは変わらない。人の数だけシガールとの思い出あるはずだ。今度差し入れにもらったときは、一緒に食べる人のシガールとの思い出を聞いてみたくなった。
親指と人差し指でつまみ、そっと持ち上げてみる。あの日の祖母の「1日1本」と言う声が聞こえた気がした。でもこれは自分のためのシガール。くちびるの間にそっとシガールをはさんでみる。
<編集:小沢あや(ピース株式会社)>
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(おわり)