あきとあさえと妹と絵本
秋と本と聞いて、秋が「あき」に変換され、『こんとあき』という絵本が浮かんだ。
作家の林明子さん作、絵。ちいさい女の子「あき」と、あきのおばあちゃんが作ってくれたキツネのぬいぐるみ「こん」が繰り出す冒険の物語。こんをおばあちゃんに治してもらうため、あきは困難に立ち向かっていく。とてもやさしくほっこりする絵本だ。ふたりは無事おばあちゃんのもとにたどり着けるのか。
まだ読まれていない方には、ぜひ一度読んでいただけたらうれしい。
林明子さん作・絵の絵本をたくさん読んできたことを、大きくなって知った。『サンタクロースとれいちゃん』、『ふたつのいちご』、『クリスマスの三つのおくりもの』など。読んだ読んだ、と懐かしく思い出す。
林明子さんは、挿し絵もよく描かれている。
たくさん素敵な絵本があるが、そのなかでも『あさえとちいさいいもうと』は忘れられない。
この絵本に出会った当時、私にちいさい妹が生まれてすぐの頃だったと思う。
私は妹をなかなか好きになれなかった。
妹を生むために早くから入院していた母。幼少期は母にべったりだった私は、長く母と引き剥がされ、父方の祖父母宅で寂しい思いをした。時に父が遅くまで仕事をした日にわざわざ寄ってくれたとき、寂しさのあまりに帰らないでと聞き分け悪く引き留め困らせた。やっと母のお見舞いに行けたときも、帰りたくなくて困らせた。
妹が生まれ、母がやっと帰ってくると思ったら、しばらく母方の祖父母宅で休むことになると聞いてたまらなくなり、駄々を捏ねて当時住んでいたアパートに無理やり戻ってきてもらった。帰ってきたと思ったら赤ん坊の妹にかかりきりなのが許せなくて、私は妹が嫌いだった。一番が奪われた。そう思った。だから、妹によく意地悪をした。本当に寂しがりやで、わがままな子どもだった。
昨日も一緒に美容院に行くくらい、今でこそ、仲の良い姉妹ですねと言われる仲になったが、私は決して良い姉ではなかったし、姉妹仲も私のせいでよくなかった。
そんな頃に、この絵本を読んだ。当時、どう思ったか、正直はっきりとは覚えていない。ただ、この絵本の存在自体ははっきりと覚えている。大人になって読み返して、よりこの絵本が胸を締め付ける。
今の時代に親になられたお父さんやお母さんが読むと、より恐ろしく感じるかもしれない。
私は先日、母親になってもうすぐ一年になる友人に、絵本ではなく、息抜きの漫画を教えてほしいと頼まれた。私の好きな漫画を挙げるなかで、一つ気をつけたことがある。それは、ちいさい子どもが出てこないこと。かなり疲弊しているようだった。お子さんの体調不良が一週間以上続き、かかりきりで不安な日々を送っている友人。束の間、安定して眠っている間に息抜きができる漫画をと求められたとき、子育てを思い起こすものはよくないかなと、きゅんきゅんする漫画やファンタジー漫画を薦めた。喜んでもらえて、これ読む!と言ってもらえたときはうれしかった。
絵本にもいろいろあって、対象年齢によっても内容は変わり、仕掛け絵本なんかもある。子どもが主人公のもの、動物や鳥、野菜が主人公のものだってある。夢あふれるファンタジーものや、教訓めいたもの、怖い話だってある。今でも覚えている作品の数々に共通していえることの一つとして、本気で読者に対峙していることが挙げられる。
当たり前かもしれないが、特に子ども向けの作品について、少しでも手を抜いたら子どもは敏感に感じとる。手を抜いたこと、というより、なんかつまんない、と離れる。テレビ番組やショーもそうだ。私が子どもの頃ショックだったのは、親子の往来激しい場所で、アンパンマンショーのアンパンマンの中の人がアンパンマンの着ぐるみの顔を外していたときだ。まだ三歳くらいだったとき、とても悲しい気持ちになるとともに、現実を知った。プロフェッショナルを貫くのは、存外難しいものなのだろう。毎日のテレビ番組やショーは大変だろうし、月刊誌の絵本をかく作家さんたちも大変だと思う。それでも良作を生み、子どもたちを魅了する作品をかかれる方は、決して手を抜かず、手間ひまをかけて慈しむように生みだされていると、受け手の私は感じている。
三~五歳向け、小学校低学年向けの絵本についていえば、読み聞かせを念頭に置いたものも多いだろう。そのとき、対象の子どもはもちろん、先生やお父さん、お母さんの存在も意識されているのではないかと思う。もしかしたら、兄弟姉妹のことも意識されていたりするのだろうか。実際、私は妹が借りてきた絵本を小学生のときに家で借りて、夢中になったこともある。そして、『あさえとちいさいいもうと』も、様々な家族が意識されているのではないかと推察する。
▼あさえとちいさいいもうと あらすじ
あさえは、私なんかと違ってやさしいお姉ちゃんだ。妹のあやちゃんを喜ばせようと一生懸命。でも、夢中になるあまり、あやちゃんを見失ってしまう。その恐ろしさは計り知れない。いろんな感情が胸を渦巻いて、一刻も早くあやちゃんを見つけなくてはと必死だったに違いない。
妹というものは、お姉ちゃんが好きな場合、お姉ちゃんの真似をしたり、お姉ちゃんについてきたがる。ちいさい子どもは、すぐに予想外の動きをする。私の妹も、私の大切な人形の手を引っこ抜いたり、突然自分の髪の毛とレースカーテンをハサミでちょん切ったり、階段から落ちたり、幼稚園の門扉で指を挟んで真っ黒になっても誰にも言わずにいたりした。そんな私の実感を伴ってこの絵本を読むと、実によく描かれていると思うとともに、怖くて、苦しくなる部分もあって、そして、あやちゃんはもちろん、あさえもお母さんもぎゅーっと抱き締めたくなる。
筒井さんの綴る文章もとっても素晴らしいし、林さんの描く絵の疾走感とあったかさが文章をドライブし、心をかき乱す。ぜひ、裏表紙まで見てほしい。
そして、この絵本が好きになった方には、続編もあるので、こちらもあわせて読んでいただけたら幸いだ。
私は、あさえみたいな、あきみたいなやさしい子どもではなかった。冒険をするところはあきみたいなところもあったし、突拍子もないことをする甘えん坊な点ではあやちゃんに近いかもしれない。妹思いのやさしい姉ではなく、そんな自分に罪悪感をもったのが、中高時代だっただろうか。大学生になって距離を置いて、やっと妹というより一人の人間として、妹を尊重できるようになった気がする。姉になるまでにずいぶんと時間がかかってしまった。いや、今でもなりきれているとは言いがたい。
でも、そんなよくないお姉ちゃんごと、この絵本たちは包み込んでくれる気がする。お姉ちゃんというより、ひとりのちいさな女の子として、抱き締めてくれるように思われる。
上の子は、どうしても我慢を強いられる。それは仕方ない部分もあると思う。親に言われなくてもいい子であらねばと無意識に思っていて、あるときそれが爆発してしまう。そんな瞬間が自分にもあった。上の子に限らず、手のかからない子がいたら、手のかかる子にかかりきりになってしまうこともあるだろう。でも、上の子も真ん中の子も下の子も関係なく、ひとりの子として尊重されてほしいし、誰よりお父さんお母さんたちはみんな尊重したいと思っているはず。事情があったり、どうしても手のかかる子を優先せざるをえないときもあるけど、それに心を痛めるときは数えきれないことだろう。一人っ子であっても、共働きや介護など、いろんな事情で親御さんが子どもとじっくり向き合えないタイミングもあるかもしれない。
特に、今の時代は、親御さんたちにとってとても大変なのではないか。想像することしかできないが。そんな親御さんが、普段ゆっくり過ごせないお子さんと絵本を一緒に読む時間があったら、その間だけでもふたりきりで過ごして、ぎゅーっと抱き締め合ってほしい。今回挙げた絵本にかかわらず、お気に入りの絵本でも、音読用の教科書でもいい。春夏秋冬、たまにでもそんな時間が親子間で持てるときがあればと、そっと願っている。
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小牧さん、先週も素敵なお題をありがとうございました!
月曜日までとのことで、なんとか本日参加できました。一ヶ月ぶりの参加になります。
またエッセイになりました。ちょっと語りすぎてしまった感。
▼前回のエッセイ
「灯火親しむ」という季語もあるように、夜が長く涼しい秋は読書にうってつけの季節ですよね。私は前職も現職も秋が繁忙期にかかっており、昼休み以外に本と親しむ時間がとれないのが悲しいです。
今週もお読みくださりありがとうございました!
もうすぐ立冬ですね。本とnoteと親しみながら、残り少ない晩秋を味わい尽くしてくださいね。