最近の本屋で見かけない、引き算の美学
お疲れ様です。最近は、いろんな場所で本屋を訪れる機会が多かったので、そこでの気づきを書いてみようと思います。
今日、紙離れ、本離れと言われるようになって、出版業は縮小傾向にあるそうですが、それもあってか本屋に並ぶ本は、目を引くような装丁になっている気がします。というのも、表表紙、帯コメントと大きい文字が枠いっぱいに入り、きれいな柄やイラストで彩らている本の多さが、本屋を眺めていて印象に残りました。ここで私が一つ気になったのは、シンプルで余白の多い装丁の本が1冊もなかったことです。なるほど目を引く装丁にすれば、興味を持った人が手に取ってくれる可能性があるかもしれません。ただ、強調する方法は、全部載せな足し算的なアプローチだけでなく、いわゆる引き算の美学もあると思います。
引き算の美学は、日本の伝統的な庭園でみられる枯山水や、シェイクスピア『ハムレット』の中の劇中劇で言及される、山場のシーンこそ静かに話せ、という旨のハムレット(シェイクスピア)の忠告など、様々な場面で用いられます。ほかの例では、アップルのiPhoneではシンプルなデザインが特徴で、一種の引き算の美学に当てはまるものと言えるでしょう。また、文章においても修辞、レトリックを多く用いる表現もあれば、志賀直哉やフローベールのように淡々と無駄のない表現もあります。つまり、飾りの少ない庭園や重要なシーンであえて抑えたりするのは、ある種の無駄をそぎ、より本質的な部分をずっと強調する目的があります。総じて、足し算の美学と引き算のそれは何かと対比的で、どちらも重要な特徴を備えており、どちらか一方、ということはないのです。
ここで、先ほどの本の装丁に話を戻すと、最近の本の装丁はほぼすべてが足し算の美学的で、引き算的な装丁は見当たりません。しかし、前述のとおり、両者は対であり、どちらか一方だけというのは馴染まないと思うのです。庭も文章もスマホに当てはまる引き算のそれは、大いに本の装丁にも当てはまると思います。本の装丁は、よりシンプルなデザインを目指し、今はだれも用いない美学を活用することで、今までなかったものを引き出せるのではないでしょうか?装丁の多くが華美になる今だから、引き算の美学を再考するのはどうでしょう?