王沂孫 「天香・龍涎香」
岩礁には 雲が立ち込め
波には 月影がきらめくときに
人魚は夜 黒龍の鉛水を求め 龍宮へ忍び込む
風に吹かれて 筏が遠くまで運ばれ
龍の涎は夢のなかで 薔薇の露と配合され
悲しみを誘う 心字香となる
紅の香炉で ゆっくり焚けば
氷のように 透きとおった指輪や
美しい女の指に 見えたりもする
簾にまつわる 翠の煙は
海上をたゆたう 雲気のようでもある
香焚く部屋のなか あの女はいつもほろ酔いで
肌寒い春の夜 切っては花と散る灯芯を ふたり過ごした
故郷の谷川では 雪さえ舞っていた
私たちは小窓をしっかり閉じて ふたり過ごした
今や荀彧のごとくに 私もどっと老けこみ
あの頃の酒の呑み方も すっかり忘れてしまったが
当時の香を 甲斐もなく名残惜しみ
伏籠には夜具が 虚しく掛かっているのである
孤嶠蟠煙
層濤蛻月
驪宮夜采鉛水
訊遠槎風
夢深薇露
化作斷魂心字
紅瓷候火
還乍識 冰環玉指
一縷縈簾翠影
依稀海天雲氣
幾回殢嬌半醉
翦春燈 夜寒花碎
更好故溪飛雪
小窗深閉荀
令如今頓老
總忘卻 樽前舊風味
謾惜余熏
空篝素被
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