春夏秋冬いつでもさまぁ~ず
東京タワーに住みたいと思っていました。
これは当noteのトップにある文言だが、ただの戯言ではない。本気で、もし東京タワーに住めるものなら、住みたいと思っている。ま、だからといって階下に住んでもしょうがないが。
東京と言えば東京タワーである。スカイツリー?なんだそれ。そんなものは知らない。東京のランドマークは、どんな建築物が出来ようが永久に東京タワーなのだ。
もし私が東京タワーの、なるべく上階に住めたとして、欠点はたったひとつしかない。
スカイツリーなる東京タワーのマガイモノも、新宿のビル群も、お台場も、代々木公園もほとんどの東京の象徴を毎日拝めるが、唯一、東京タワーだけが見えない。まさに画竜点睛に欠くというヤツだ。そのレベルで、東京から東京タワーを外してはいけない。
私は東京が好きだ。
残念ながら私は東京生まれではない。東京近郊の生まれでさえない。しかし、もし転生が可能であれば東京の両親の元に生まれたかった。おぎゃーという第一声は東京で上げたかった。悔やんでも悔やみきれない。もちろん一番好きな方言は東京弁だ。東京弁は聞いてるだけで気持ちが良くなる。生まれ故郷の言葉が嫌いという話ではなく、もう単純に東京弁の耳障りが良いのだ。
東京の言葉を綺麗に操るタレントや芸人は、それこそ山のようにいる。代表格は何と言ってもビートたけしだろう。とくにたけしの
「ほんでもってよ」
「参っちゃうよなぁ」
という言い回しが好きだ。
でもたけしではダメなのである。たけしは芸人である。テレビに出た時は「笑い」を求められる。ところが笑わせようとギャグを放った瞬間に東京弁のニュアンスが弱まってしまう。これが惜しい。
だから一番好きなたけしは「ボケなしで真面目に語る姿」だ。あれは本当にカッコいいし気持ちいい。でもそんなことを理解してくれるテレビマンはいないようである。滅多に拝めないのだから。
そこで浮上するのが、さまぁ~ずである。
もちろんさまぁ~ずもたけし同様芸人なのだが、良くも悪くも積極的に笑いを誘発するようなことを言わない。
昨年終了した「さまぁ~ずXさまぁ~ず」もそうだし、今やっているYouTubeチャンネルもそうなのだが、中年のおじさんが(ユーモラスではあるとはいえ)普通の話をしているだけなのだ。ところがこれが面白い。腹を抱えて笑うことはないが、ずっとニヤニヤしてしまうという類いの面白さで、まったく飽きることなく、ずっと見てしまう。
何より、彼らは文句なしの東京弁話者である。不要なボケを発さず、ひたすら気持ちいい東京弁を使って、ずっと喋ってくれるだけで、それを聞いている私は幸せな気持ちになれる。
こうした「ふたりで、ただ喋っているだけで面白い」というコンビを私は見たことがない。
こんなことを言えば、ではダウンタウンは、とか、ビートたけしと高田文夫は、とか、笑福亭鶴瓶と上岡龍太郎は、とか、最近で言えば爆笑問題太田とくりぃむしちゅー上田は、とか、いくらでも反論に値する例はあるだろう。
しかしさまぁ~ずも同じ芸人でありながら、まったく「笑い」に主眼を置いてないところが先の例の人たちと決定的に違う。
「楽しませようとはしているが、笑わせようとはしていない」というは、さまぁ~ずだけの専売特許なのだ。
いずれまた書くが、本来さまぁ~ず大竹は「エキセントリックなボケ」の人であり、三村は「パワフルなツッコミ」の人なのである。なのにふたりきりで話す時は、そうした影を微塵も見せず、ただ「おじさんの普通の会話」に徹する、というのは尋常ではない。
どうやら字数が尽きたようなので、この続きはまたいずれ。
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