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自筆短編 「陽炎の記憶」

 陽炎の記憶

盆の宵。
辻堂の実家に親戚が集まっていて、
私は仕事が長引いてしまい、家族とは別に、背広のまま、やっと夜に着きました。
夕食が済んでから、私は縁側に出て、ビールをのみながら庭を眺めていました。
今年は久しぶりの帰省であったので、
懐かしい気持ちでいますと、中から親戚の会話が聞こえてきます。
権現森(ごんげんもり)の辺りもすっかり全部綺麗なおうちが建っちゃってね。
えっ、じゃああの森はもう無いの?
あぁ、去年に更地になってね、それから全部家が建ったのよ。

権現森。
ふいと思い出した事でした。

それは遠い記憶。
あれは真夏の散歩道。
私は虫取網を持ち、水筒と虫かごを首から下げて、全身に汗を滲ませ、陽炎の道を歩いている。

権現森という、家5~6軒分程度の盛り上がった木々の生い茂る、極々小さな森が、自宅の近所にあって、そこの頂上にはぽつんとブランコと鳥井と社がある。
周りはいわゆる少し田舎の住宅街なのだが、ここだけが不思議な、切り取った様な静かな場所でした。
私は当時、小学校の3年生だったと思います。
やんちゃな活発な子供でしたが、その夏休みの一時期だけ、何かがあった訳ではなかったと思うのですが、ひと月程誰とも遊んだりせず、一人で過ごしていました。
両親は共働きで、母は近所の親戚の叔母さんが経営している床屋で働いておりまして、朝ご飯を食べた後は、私は一人で何か遊びを探すか、その床屋の着付け室に行き、遊ぶか、そんな毎日を過ごしていました。

権現森の先にある草の茂る原っぱにカマキリを捕まえに行こうと、一人陽炎のあがる道を歩き、そこで一時間ばかり夢中になって探したけれど、バッタばかりでカマキリは見つからなかった。

帰りにふいと権現森に入り、ブランコに座って、水筒の麦茶を少し飲んだ。
どれだけ暑い日でも、木々に囲まれたこの場所は涼しくて、居心地が良いのです。

ここから見下ろす下の道路も陽炎に揺らめき、ぼやけて見える。

ここに上がってくる細い踏み慣らされた小路以外は背の高い草木が生えている。
突然小鳥の囀ずりが辺りに響き渡り、上を向くと、木々の間に見える空をたくさんの鳥達が音を立て波をうつように飛び上がってゆきました。

そしてまた静寂に包まれて、
入口の陽炎の中から、

ゆっくりと登ってくる人がいました。

上下揃いのジャージを着た大きな男でありました。
昨夜テレビでみたバレーボールの選手の様な精悍な姿で、颯爽と私の前を通って、もう一方の細い道を通り降りてゆきます。
後ろ姿はまた陽炎の中にぼんやりと消えてゆきます。
ここは子供がたまに遊びに上がってくるだけで、わざわざ通る人はいないので、少し不思議に感じていました。
足を地面に蹴って少しだけブランコを揺らしていると、また陽炎から人が上がってきます。
すると、今度は髪を茶色に染めた目の鋭い男が歩いてきます。
私の前を通る時にギロリと睨まれて、すくむ様な怖さを感じました。
また通り過ぎてゆきました。
次に、背広姿の男の人が上がってきました。
私をみて優しく微笑み、
「こんにちは」
そう言ってまた通り過ぎてゆきました。
次に、白髪交じりの男の人が歩いてきました。
「こんにちは」
この人も微笑みを浮かべそう言って去ってゆきました。
ずいぶんと今日は人が通るなと思って、また少し麦茶を飲んで、忘れていたポケットに入った、溶けて潰れた小さなチョコレートを食べながら、ふと、なんだかみんな同じ顔をしていた様な、あれ?そんな違和感がありましたが、それ以上は気にせずに、
私は何も入っていない虫かごと水筒を首にぶら下げて、虫取網の棒を片手に握り、また陽炎の道へと駆け降りてゆくのでした。

縁側で、そんな夏の日を思い浮かべ、
そして、自分の身なりを見回し。
「あれはやっぱり」


辻堂もすっかり綺麗な街になりましたが、
私達が子供の頃は、まだこんな、不思議な、
陽炎の見せる「余白」のある世界でありました。

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