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アルツハイマーだった父に私がついた嘘

父は頑固だった。福島県会津出身、昔ながらの頑固おやじ。でもハンサムで真面目、中学校の先生として生徒に慕われ、最後は校長で退職した。箱根駅伝を2度も走り、今でも箱根駅伝ミュージアムには父の写真が飾られている。そんな父を、私はずっと誇りに思っていた。

私が若い頃、結婚を機にアメリカに移住してから、両親には寂しい思いをさせてきたと思う。母が2011年に亡くなった時、私は父を心配して日本に飛び、葬式を済ませた。そしてアメリカに戻った後、近所の人たちから父の挙動がおかしいという連絡を受けた。「ストーブをつけっぱなしにする」「ぼんやりして徘徊する」──どうやら父は母を亡くした悲しみから立ち直れず、様子がおかしくなっていた。

2011年3月、私は父をアメリカに呼ぶために日本に戻り、一緒に飛行機に乗った。その日が3月11日だったことを、私は一生忘れないだろう。サンフランシスコ空港に到着した時、日本は東北大震災に見舞われていた。私たちはニュースを見て、ただ呆然とするしかなかった。

その後、父とサンフランシスコで1ヶ月ほど一緒に暮らしたけれど、父はすぐに日本に帰りたいと言い出した。どうにか説得しようとしたけれど、父の心はもう日本に戻ることでいっぱいだった。そして、私は父を実家の近くにある素敵な老人ホームに入居させることに決めた。

その頃から、父の記憶の曖昧さに気づくようになった。何度も同じ質問をする父に、私は嘘をつくことを覚えた。

「葉子、お父さん、もう72歳なんだよ!」

父は実際には80歳だったけれど、私は「えー、そうなの?72歳!お父さん、若く見えるよ!」と答えた。アルツハイマーの人は記憶が曖昧だと指摘されると恐怖を感じると、ある本で読んだからだ。私は訂正せず、むしろ父が安心するような答えを心がけた。72歳というのは父がとても幸せだった年だ。ホノルルマラソンの70代の部で2位になり老後の人生を謳歌していた。だからずっと72歳でいたかったんだろうと思う。

「お母さんはどうやって死んだんだ?」

そんな父の問いにも、私は笑顔で「お母さん、本当に笑顔で安らかに亡くなったの。お父さんにありがとうって言ってたよ」と伝えた。本当は、母は寒い冬のある日、くも膜下出血で突然倒れ、そのまま意識不明で1週間後亡くなった。父も私もきちんと挨拶をできなかった悲しい別れだった。

「葉子、お前は誰かいい人いるのか?」

バツ2の私は「うん、すごく優しいボーイフレンドがいるの。私、幸せだよ」とまた嘘をついた。

嘘は悪いことと教えられてきたけれど、父にだけはたくさん嘘をついた。それは父を安心させたくて、父の笑顔を守りたくてついた、私なりの優しい嘘だった。

そんな父も、4年前に老人ホームで安らかに亡くなった。最期まで、周りの人たちに感謝される温かい存在だった。

お父さん、嘘をついてごめんね。でも、これだけは本当。お父さんのこと、私は心から大好きでした。今頃、お母さんと一緒に、また仲良くしてるのかな。

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