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価値あることをするために、私は生まれてきたわけじゃない

Netflixで放映されている「Queer Eye」。5人のゲイ男性「ファブファイヴ(Fab 5)」が、それぞれが持つ専門的な知識や経験を生かして、冴えない人を大改造していくという番組。

日本で「冴えないあなたを大変身!」的な番組ってどうしても、外見上の変化に主点が置かれがちだけど、このNetflixのシリーズは衣食住から入り、そして依頼者の内面の変化にもスポットが当てられてるのが面白い。

とにかくまだ見ていない人はぜひ見てほしい。でもね各エピソード涙なしには見られないから、要注意よ。



先日「Queer Eye」を見ていて、この言葉を私は何年も年々も待っていたみたいな出会いがあった。

それが

芸術とは人となりを共有すること

という依頼者の言葉。



今の世の中は効率的、能率的、合理的、生産的に速いスピードで、世の中に価値を提供できる人がすごいと思われがちで。私もそうでありたいと思い、それなりに有益な情報をみなに出していきたいと頑張ったこともある。

だけど、今の自分がやりたいことと欲していることは、まさに人となりの共有以外の何物でも無いんだと思う。


まだうまくいえないんだけど、私は世の中に価値のあることをするために生まれてきたわけではないと思うのよ。誰かがくれる「ありがとう」のために生きていくのって、結構辛いんなって。


人間は生存していくために、今は働いてお金を得て生計を建てるシステムを作り上げた(少なくとも日本ではね)。だから誰かのありがとうを集めることは生きていくことの一部分。

でもそれ以外の、ただ私がわたしのままにいることの当たり前さを絶対に失くしたらダメだと思って。


とはいいつつ

自分の人となりを世の中に対して明らかにしていくのって、怖い。たいした経歴もなく、人から羨ましがられることなんてなにもない。こんな私のひととなり、こんな私のことを誰が興味を持つの。

私は自分のことをそんな風にいつも思っちゃう。私よりも前を走っている人は星の数ほどいて、彼らにはまだまだ追いつけそうもなくて。

ただ、もうこんなことは考えてもどうしようもなくて、実際にすごい人はたくさんいるんだけど。そもそも私と同じレースに出ているかはわからないから、比べようがないのよ。


だから芸術とか作品とか、難しいはことはまずはおいておいて。人となりの共有をもっとしていきたいなって思う。職業柄、いろんな人に話を聞く機会があるけれど、この人の人生つまらんなって思う人に出会ったことないです。全く同じような人生を歩んでいるように見えたって、その人が今にたどり着くまでに捨てた選択肢は違う。

絶対に何があっても宇宙が爆発しても、

人と人は違う。

だからこそ、人となりを共有し合うことに、重きをおいていきたいというか。ということを月曜日の朝、考えています。


全然、散らかっていて文章になっていないんだけど。

そのまま出す。のです。(長い、言い訳かもしれないね)


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南洋子
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