イエスマンばかり集めても成長しない
人間誰しもが自分に賛成してほしいものである。
そのため、自分に賛同してくれる人を集めてしまいがちである。
しかし、それでは自分の成長に繋がらない。
自分の体験談から言うと、私のバイト先の同期に、誰に対しても思ったことを言う人がいた。
それは、私に対してもそうだし、先輩に対しても同様である。
そのため、時々、先輩と少し揉める時があった。
私も意見を言った時、何回も直球的に否定されたことがある。
言われた時には、確かにムカッとすることもあった。
しかし、その後、家に帰ってもう1度考えてみると、確かにそういう意見もあるかもとその人の反論を受け入れることが多々あった。
その繰り返しで、私は徐々に視野が広がったように感じた。
前までの自分の中ではあり得ないと思ったけれど、考えてみればあり得る可能性があるかもと。
このように、否定された時に逆ギレし続けると、やがて否定をしてこなくなる。
否定すると面倒臭いことになるから、言わないでおこうと相手に思わせてしまうのである。
こうなってしまうと、周りにはイエスマンしか集まってこない。
この人の前では、肯定しておけば良いんだという考えになってしまう。
これでは、例え間違った意見でも、間違っていると言えないので、軌道修正できない。
負のループである。
自分の考えを否定してくれるというのは、非常にありがたいことである。
同時に、自分のことを信頼してくれている証になり得る。
しかし、否定をする側にも言い方というのがあると思う。
単に「お前の意見は違う」や「君はだめだ」といった人格否定に繋がる反論やきつい言い方だと相手も腹を立てる。
また、落ち込み、やがて病んでしまう可能性もある。
「確かにそういう意見もあるけど、私はこうだと思う」と言うように、相手の意見を尊重しつつも、自分の意見を述べることが大事だと思う。
尊重しすぎると、自分の意見が言えなくなるので、その線引きが難しいのであるが。
何れによ、否定する側も言い方を考えるべきである。
これは私の考えであるが、この先の世の中では今よりも多様性を重視する世界になると思う。
そういう状況下で、様々な意見を受け入れて、より良いアイデアを作成する能力は非常に重宝されると思う。
そのためには、イエスマンばかりを集めるのではなく、様々な考えを持った人材を周りに集めるべきであろう。
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