分からない人の立場に立って考える
今日は、分からない人の立場に立って考えることの大切さについて述べていきたいと思う。
私自身、塾講師をしていた時、得意科目よりも苦手科目の方が教えやすいということがあった。
得意科目の日本史の場合、苦手科目に比べて教えるには自信があった。
ある程度のことを聞かれても大丈夫だと考えていた。
しかし、多くの受験生がどこで躓くかが分からなかったので、どこが難しいポイントとかを教えることができなかった。
一方、苦手な時期が長かった現代文では、自分自身で躓く場面が多くあった。
その分、覚えにくい部分であったり、よく間違えていた部分を生徒に教えることができた。
これは、分からない人の気持ちが分かるからだ。
日本史は分からないということがほとんどなかったので、分からない人の気持ちが分からない。
一方、現代文は自分が分からない部分が多かったので、分からない人の立場になって教えることができた。
これと同様なことが他の場面でも言える。
部活で初心者の人を指導するには、その人の立場になって考える必要がある。
会社でも、後輩に指導する時に、後輩の立場になって指導するのが良いと思う。
自分たちにとっては当たり前のことが、新入社員にとっては当たり前ではないこともある。
長年経ってしまうと、自分も出来なかった時代のことを忘れてしまい、何でこんなこともできないのだろうと思ってしまう。
そんな時に初心に返って寛容な態度で指導するのが大事だと思う。
教員も自分が得意な科目を指導するので、分からない生徒の立場になって考えることが難しいと思う。
こんなの当たり前だろと思っていることが生徒にとっては当たり前ではないことも多々ある。
私は、この「当たり前」という言葉に疑問を持つことが大事だと考えている。
この先、時代の変化は凄まじいものであると思うので、昨日まで当たり前だったことが今日からは当たり前じゃなくなることもあると思う。
そんな時代では、当たり前という考えは忘れ、もっと良い方法があるのではと考えることがより必要になってくると思う。