キティちゃんを超えた?「重ねる」の効用。
こんな表現を、SNSでよく見かける。
私事ですが、という枕詞?について思うことはあるが、今日話したいのはそこではない。
重ねる。
この表現である。
誕生日が来ただけ。
年をとっただけ。
でもそれを「重ねる」と表現するだけで、
なんだか上品なイメージに変わる。
重奏感すら出る。
なんでだろう。
「重ねる」ってすごいな。
だって、「重ねる」ってあまりイヤなイメージがない。
「経験を積み重ねる」
「パイ生地を重ねる」
「メロディを重ねる」
どれも、適度に良い感じ。
ん?
でも、本当にそうかな?
重ねたらイヤなものもあるんじゃないの?
…
「汚れた皿を重ねる」
うーん、これはイヤかも。
というか。重ねる前に洗えや、って話。(怖)
あ、でも回転寿司の皿を重ねるのはエンタメ感あるかも。あれは楽しい。
「失敗を重ねる」
一見ネガティブっぽい。
でも、失敗は失敗ではなく「上手くいかない方法を見つけただけ」ってエジソンも言ってる。
むしろ重ねてなんぼかと。
…
ということは?
やはり「重ねる」は偉大、ということか。
地層。
経験。
ミルフィーユ。
他に何があるだろう。
…
そうだ、noteの記事だ。(わざとらしい)
あと10日ほどで、note毎日投稿が500日を迎える。これを「積み重ね」と言わずして、何というのだろう。
ここで、私が好きな曲の歌詞を紹介する。
noteも、そんな感じかもしれないなあと。
そして、この曲のラストはこう。
ということは?
この記事の積み重ねも、いつの日か「何か」になるのかも?
いや、ならないか。
まあ、どっちでもいいか。
ということで、
引き続き、淡々と記事を積み重ねていこうと思う。
改めて
記事を読んでくださるみなさん。
いつも、本当にありがとうございます。
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