わざわざの果実。
新学期。
小学校の授業で使う、習字道具の申し込み。
「集金袋におつりのないよう、現金を入れて渡す」スタイル。
習字道具は家にないし、学校推奨のものなので
購入。
後ほど、学校に一括納品されるとのこと。
普段使わない小銭をかき集め、なんとか用意。
(いや、普段から用意しとけよってツッコミはなしで)
ふぅ。
…
これ、もし自分が「欲しいもの」だったとしたら…?
✅たとえば、「本」だったら…
気になったら、Kindleでサンプルを読むことができます。
Kindleで買えばすぐだし、ネットで紙の本買っても早く届く。
本屋で買えばすぐ手に入るし、図書館にあればすぐ読めます。
でも…
たとえば、その読みたい本が
だったら?
買いますか??
よっほど読みたい本でなければ、
そんな面倒なことしてまで、手に入れたいとは思わない…かなぁ。
少なくとも私はそう。
あ、でも。
「あえて」その条件で売り出されていて、
その面倒くささを楽しむ、みたいなのはあるのかも?
あえて、TSUTAYAで借りるとか。
あえて、レコードを買って聴くとか。
そういえば、ふかわりょうの本にそんなこと書いてあったな。
✅わざわざの果実
たとえば、最近流行っている、ソロキャンプ。
火を起こしたり、お米を火にかけたり、テントを張ったり。
これは「わざわざの果実」をもぎ取りにいっている、と。
人との関わりから解放され、「ソロ」を謳歌。
でも、ずっとキャンプをしていたら、やがて思うこと。
「人と関わりたい」
うん、そうなのかも。
ダウンロード・サブスク主流の音楽業界で、アナログレコードが売れていることについても、
いや、本当そうなんでしょうね。
一旦は「面倒くさいことはイヤだ」と排除したものの、いざ排除すると寂しくて、
面倒くさいことがやりたくなる…
人って、そんなものなのかもしれません。
面倒くさいですね〜。
✅わざわざは「積極的」でありたい
そう思いませんか?
「わざわざ」するのであれば、
ウキウキしたい。
楽しいことでありたい。
だって、「わざわざ」するんだから。
そして「わざわざ」したいコトの中に、本当に自分がやりたいことが見え隠れ(隠れてないか)しているのかもしれません。
そう考えると…
消極的・義務的な「わざわざ」を行うことは、もう時代に合っていないのかも?
だって、便利な果実はいくらでもあると思うから…
みなさんは、どんな果実を取りたいですか?
▼わざわざ聴きたい「真夏の果実」