名前に引っぱられた話。
瀬尾まいこさんの短編集。
瀬尾まいこさんといえば、あたたかい読後感。
ハラハラ!ドキドキ!
のような話はないのですが、3話とも、読後おだやかな気持ちに。
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で、本のタイトルにもなっている「優しい音楽」
この話に登場する女性の名前。
それが、「鈴木千波」さん。
鈴木千波?
どこかで聞いたことあるような?
スズキチナミ?
そうか、鈴木ちなみ!
https://instagram.com/chinami_suzuki0926?igshid=MzRlODBiNWFlZA==
小説の中の「鈴木千波」は、大学生。
私の脳内の鈴木ちなみは、
20代前半くらい(かな?)に、めざましどようびに出ていた時で止まってます。
なので、年齢的にはほぼ同じ。
小説を読んでいても、
鈴木千波=「20代の鈴木ちなみ」イメージが固定されます。
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といったように、
本の中の登場人物の名前や特徴が、自分の知っている人と繋がる。
そんなことって、ありませんか?
私、結構頻繁にあります。
先日読んだ、これもそう。
表題の「かわいそうだね」の他に、
「亜美ちゃんは美人」という話があります。
タイトル通り、美人の亜美ちゃんが出てくる話。
私の学生時代のクラスメイトに
「あみちゃん」という子がいました。
すると、もうその子のイメージになってしまうのです。
とはいえ
必ずしも「名前が同じ」というだけで、そのイメージで読み進めることはできない。
小説の中の亜美ちゃんは、美人。
そして私が知っている「あみちゃん」も、美人なのです。
もし、私が知っている「あみちゃん」が、美人とは言い難い風貌だったら。
そうだとしたら、きっとまた違うイメージを膨らませていたと思うのです。
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冒頭の話に戻ると、
鈴木千波と鈴木ちなみも、
「純粋そう」
というイメージは共通。
だから、そのイメージのまま読み進められたのかも。
何が言いたいかというと。
名前に引っぱられることって、あるよね〜。
でもそれって、何かしらの共通点があるゆえのことなんじゃないかな?
という、冷静に考えたら
「そりゃそうだ」という話でした。
▼映画はこれ。
▼埋まるマツケン。