思想・良心の自由は絶対的
おはようございます。弁護士の檜山洋子です。
大学の法学部で初めて憲法と刑法を学んだとき、「心の中で何を思おうとも自由」ということを知りました。
「知った」というか、薄々感じていたことを明確にしてもらった、という感じだったかもしれません。
しかも、その自由は、憲法上保障された精神的自由権の基本的な権利で、とっても大切なものだと学びました。
憲法は19条で、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」と定めています。
この意味は、まず、国民のもつ国家観、世界観、人生観は、内心に止まっている限りは“絶対的に”自由であり、国家権力が内心の思想を理由に不利益を課したり、特定の思想を押しつけたりしてはならないということです。
刑法が「行為」だけを罰し、行為に及んでいない危険思想を罰することができないのは、憲法が思想・良心の自由を保障しているからです。
憲法19条の2つ目の意味は、思想は沈黙することが許され、国家によって思想の開示を強制することは許されないということです。
隠れキリシタンをあぶり出すための「踏絵」などは、思想の開示の強制の分かりやすい例です。
この思想・良心の自由も、日本国憲法の規定上は国家が国民の権利を侵害してはならない建て付けになっていますが、私人間でも侵害してはならないものであるというのが通説・判例の考え方です。
企業や労働組合などの大きな力を持った存在が、一般国民の人権を侵害するようなことがあってはならないからです。
ただし、憲法は国家に向けて定められているものですから、憲法を直接適用して私人の行為を規制するのではなく、民法90条の公序良俗違反や709条の不法行為等を通じて規制すべきだとするのが多数説です。
いずれにしても、会社が憲法で保障された従業員の自由権を侵害することは許されない、特に思想・信条の自由は「絶対的」な自由ですから、それを侵害することはどんな理由であれ許されない、ということです。