情報源がマンネリ化していないか 「情報だけを武器にしろ(著:堀江貴文)」
堀江貴文さんの「情報は、『狩り』にいくもの」という事を、改めて行きつけの喫茶店で感じています。
そこはいわゆる昔ながらの喫茶店で、いつも地元のお年寄りで溢れている素敵な場所です。毎朝仕事に行く前に寄っているのだが、いつもみなさん新聞を貪るよう新聞を読んでおります。しかし、そこには人生を向上させるような情報が書かれているのだろうか、甚だ疑問です。
毎朝喫茶店に来て新聞を読む習慣は掛け値なし素晴らしいと思います。しかし、それはマンネリ化した進歩のない習慣になってしまっていはいないでしょうか。
新聞は発行部数の凋落が叫ばれて久しいが、そうなるとなおのことスポンサーを大事にしなければならないので、真実があってもスポンサーを毀損するような記事を書けなくなります。つまり、お金のある権力者に対する批判ができなくなってしまいます。
これ以上話しを進めると、とただの新聞批判になってしまうので、話はこの辺で止めておきます。ここで議題にあげたいのは、自分が情報を得るソースに対して、意識的であるかという事です。
人はインプットした情報をもとに、世界を認識し、判断を下すので、質が悪い情報が入れば、必然とアウトプットの質も下がります。
私も一時期スマホアプリの「SmartNews」ばかり見ていたら、妻との会話も気づけば芸能人のゴシップばかりだった時があります。それではあまりに情けないですよね。
因みに情報というのは文字に限らないです。付き合う人もそうです。その人と話す事で、その人が得た情報が自分の中に入ってきます。しばらく一緒にいれば、同じような情報ばかりインプットしている事になります。だから、朱に交われば赤くなるのです。
話を戻しますと、今は質の高い情報を取捨選択してくれる人(Twitterでの佐々木俊尚さんなど)や、質の高い情報をまとめてくれるアプリ(NewsPickなど)があるので、これらを活用しない手はありません。
自分の情報源が何なのかを改めて考え、もしその質が不十分なら、新しい情報元を取り入れること。これを日々やって行こうではありませんか。