#【麦とリボン】2(最終章)
「実は若林さんに頼みたいことがあるんだ」
「はい」
「とても変な頼み事だから、嫌なら断ってくれて構わないからね」
私はうなずいた。
「先生の実家にも狭いけど麦畑があるんだ。そこに、箱を埋めてある。誰も知らない。両親も。さっき云ったように、先生に何かあったら、若林さんにその箱を掘り出して欲しいんだ」
「その箱の中には何が入っているのですか?」
「それは云う事が出来ない。すまない」
「掘り出したら、どうすればいいのでしょう」
「その事に関しては、後で連絡するよ。今はまだ云えないんだ。変な頼み事だろう?断ってもいいんだよ」
「もし、私が断ったら、その箱はどうなるんですか?」
「ずっと土の中だろう。それでもいいのかもしれない」
「……何故、私なのでしょうか」
「それは若林さんが、人の痛みが分かる、優しい人だから」
「そんなこと……」
「本当だよ。若林さんは優しくて強い人だと先生は思ってる」
希は少しの間、考えて、
「やります」と、答えた。
「本当に?引き受けてくれるの?」
「先生のお役に立てるようなら、やりたいと思います」
「ありがとう。ありがとう若林さん」
後で連絡する。
先生はそう云ったのに、いなくなってしまった。
美大に行きたいという気持ちも、希の中で薄れていった。
少し絵が描けるくらいで、合格するとは思えない。
実際、美大に行った先輩は、塾の進学コースで毎日のように描いていたら、利き腕である右腕が、左腕の半分の太さになってしまったのを、知っている。
希は甘かったと後悔した。
そんなことを考えながら家へ向かっていた。
自宅に着き、ポストを開ける。
いつものように、たくさんの広告が入っていた。
その中に一通の封筒があった。
差出人を見たら、加藤先生からだった!
なんで今頃、届いたのか!
たぶん、加藤先生のことを、とても気に入っていたアパートの大家さんに頼んだのではないか?
希は急いで家に入り、カバンを放り投げてハサミで封を切った。
中の手紙を読み終えると、希はその場で座り込んでしまった。
「ウソだ……ウソだ……」
そう、云い続けていた。
🌿☘️🌱🍀
車窓からの景色は、段々と開けてきた。
希は西へと向かっている。
広い土地に、運送会社の大きな建物が、いくつもある。
デパートの倉庫も大きい。
山が増えるにつれて、トンネルも多くなった。
その山にも看板が立っている。
旅館だったり、フルーツ狩りだったり。
今の時期はイチゴ狩りらしい。
《嵐の夜、車を飛ばして実家に着いた。
鍵のかかってないドアを開けると、電気も付いてなく、真っ暗だった。
「オヤジ!」そう声をかけると、布団の上に背中を向けて座っている父親が、ゆっくりと、こっちを向いた。
追いかけてきた雷が、真っ白な閃光を放つと、父親が頭から血を流しているのが見えた。
固まりかけているものと、まだ新たに流れてくる鮮血があった。
俺は靴を脱ぎ捨て部屋に上がった。
すると父親は云ったのだ。
“ど・ち・ら・さ・ま・で・す・か”
父も母と同じ病になったと瞬時に理解した》
まだ冷房を入れてない車内は、少し蒸し暑くなってきた。
希は少しだけ窓を開けた。
心地よい風が髪を撫でる。
作ってきた、おにぎりを食べようと希は思った。
温かいお茶も、持ってきてある。
こんなにノンビリと、景色を眺めながらの、おにぎりは初めてかもしれない。
《父親からの電話は、『婆さんを殺した』というものだった。
母は以前から、父にかなりの暴力を振るっていたのは知っていた。
僅かだったが、母と暮らした時に自分もよく叩かれた。
それでも父は辛抱して過ごしていた。
だが、その夜の母は、一升瓶を持ち上げ、父の頭を思い切り殴ったのだ。
額を伝って流れてきた自分の血を見たとき、父の『辛抱』という鏨が外れた。
父は母の首を力を入れて、絞めたのだ。
母は、ぐにゃりとなった。
そして父は俺に電話をかけてきたのだ。
横たわる母の姿を見たとき、俺は喚きながら父の首を締めていた。
父はあまり抵抗しないまま、死んだ》
🌿☘️🌱🍀
もうすぐ目的の駅に着く。
希は降りる支度をした。
そこには加藤先生の家がある。
頼まれたことをする為に希は来たのだ。
駅に着き、ホームに降りる。
小さな改札を出て、簡単な町の地図を見た。
ここからは、バスに乗るのでバス停までの道を探す。
日に数本だけのバスの時刻は、調べてある。
もうすぐバスが来る時間だ。
駅からバス停までは、割と近くだ。
飲み物を買っておこう。
自販機を見つけて何を買おうか考え、希は、イチゴミルク味のジュースにした。
バス停で、ジュースを飲みながら待っていたら土煙りをあげながら、バスがやって来た。
希は急いでジュースを飲み干し、ゴミ箱に捨てた。
“市民病院経由”のバスの中には二人のお年寄りが乗っていた。
希が乗ってくると、二人のお婆さんは、ニッコリと微笑んだ。
私は軽く会釈をしてから座席に座った。
バスの揺れが心地よく、希はウトウトしかけた。
自宅を出発してから、何時間、経っただろう。
するとお婆さんの一人が話しかけてきた。
「あなたも麦畑を見に来たの?」
希が、はい、と返事をすると、お婆さんは、「ここは田舎だけど、今の時期の麦畑は本当に見事なのよ。カメラを持って写真を撮る人がたくさん来るの」
「そうなんですね。私も楽しみです」
バスは市民病院に着いた。
二人のお婆さんは、降りていった。
乗ってくる人はなく、バスは私だけの貸切状態になった。
希は少し眠ることにした。
アスファルトではない土の道。
希には経験がない。
しばらく浅い眠りについた。
目を覚まし、窓の外を見た。
「わぁ」
自然に、そう発していた。
一面に広がる黄金色の世界。
遥か彼方まで、太陽の光を浴びて輝いている。
「これが加藤先生も云っていた、麦畑なんだ。今の時期しか見れない麦畑の色」
気づいたら涙が流れていた。
美しいという感情で泣いたのは、生まれて初めてのことだった。
ずっとずっと見ていたい。
希は、降りるバス停を通過するところだった。
「着いた」
ここから先生の家までは、手紙に地図が添えてあったので、スムーズに進めた。
「あった、ここだ」
古い平屋の家がある。
人が住んでいないのに、その家はまだ息づいているように感じた。
表札を見てみる。
加藤 兵二郎
マサ
賢一
加藤 賢一が先生のフルネームなんだ。
見るとポストから、郵便物が溢れて地面に落ちている。
先生の葬儀の時に、両親が居ないのは、不自然だし警察も怪しむと思い、先生は両親が行方不明ということで、『捜索依頼届け』を警察に提出した。
郵便物の中には、年金の通知もあった。
もうこの世に居ない人のそれは、なんだか悲しかった。
希は南側に周り、庭に行った。
確かに狭いが麦畑があった。
「よし!やろう!」
希は物置からスコップを持ち出して、麦畑に向かった。
「先生は目印を付けておく。と手紙に書いてあったっけ」
狭いとはいえやはり畑。
慎重に見て歩いていたら、あった!
隅の一角に、赤い布で束ねられた麦がある。
希はスコップを持って赤い布の場所へ行った。
「ここだ、ここを掘れば先生の埋めた箱があるんだ」
赤い布をほどき、左手首に巻き付けた。
ほとんど消えている傷を隠してくれるリボンのようだ。
希は、麦の根元付近を掘り始めた。
6月の日差しが希に注ぎ、玉のような汗が顔を流れた。
30分くらい掘ったところで、スコップの先が何かに当たった。
希は確信して、スピードを上げて掘り進んだ。
「あった……これだ」
希はスコップを置いて手で掘り始めた。
そして、透明な小箱を取り出した。
確かに手紙が入っている。
先生は手紙に、箱の中に両親を埋葬した場所と、今回の件を全て書いてある。
それを希が警察宛に投函することになっている。
希は布で箱についた土を拭き、持ってきた袋に入れた。
暑い。さっき飲んだイチゴミルクのジュースが甘くて余計に喉が渇いていた。
スコップを物置にしまって、表に出ると、井戸があった。
まだ飲めるだろうか。
希は桶を入れて、水を汲み上げた。
恐る恐る口に含む。
「美味しい!飲める!」
希は水をゴクゴクと飲み、水分を体中に染み渡らせた。
「この水を加藤先生も飲んだんだね」
そう思った時、フっと先生の気配を感じた。
それはすぐに消えたけれど。
見ると、遠くに海が見える。
キラキラと輝いて美しかった。
10年後
希は一浪して美大に入った。
在学中に書いた希の絵は、ある賞を取った。
その絵は、加藤先生とご両親が笑顔で語らっている絵だった。
希は、この一枚を描くためだけに、美大に行ったと思っている。
卒業後、専門学校へ入り、ある資格を取り、今は老人介護施設で働いている。
希の絵は、ロビーに飾ってくれた。
みんなは口々に、この男性は誰だろうと話をしている。
希が美術の先生だと云っても、何故か信じてもらえず、希の元カレだの、いや婚約者だったのでは?と囁きあっているようだ。
希は嫌ではないので、放っておいている。
そして希は本当に、この施設でケアマネージャーをしている男性と結婚することになった。
あの時の赤い布は、常にバックの中にある。
色は褪せてしまったけれど、希はずっと持っているつもりだ。
先生に結婚の報告をしに、あの場所へ行こうと決めている。
加藤先生の手紙は、こう結んでいる。
☘️🌱🌿🍀
《若林 希さん、いえ、長沢 希さん。
一人でよく頑張りましたね。
辛かったと思います。
先生は弱くてダメな人間です。
長沢 希さん、僕は貴女を心から、尊敬します。
色々ありがとう。
感謝します。
そして……さようなら。
私のことを、分かってくれる人が、この世に一人、いました。
(完)