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宙(そら)のオト


〈昼休みなんか、いらない〉


僕は小学校の時から、そう思って来たし、社会人になった今でもそれは変わらない。


猛暑が続く今の時期は、行き掛けにコンビニで調達した食料を、会社のデスクで食べている。

けれど真夏以外は、よほどの悪天候でもなければ、真冬でもコートとマフラーを身に付けて、公園のベンチで昼休みを過ごす。


会社に会話する同僚はいない。
学生時代に友達が1人もいなかったのと同じに。


親父とお袋が変だったんだよ。
毎晩2人で呑んだくれて。
真夜中だろうが、大声で歌いながら帰って来るし、呑み仲間の八百屋の店に行き、とっくに閉まっているシャッターを、ガンガン叩いて「なに寝てんだよ。呑みに行こうぜ」
などと騒ぐ。



八百屋はもちろん、近所迷惑も甚だはなはだしい。

当然だけど、呑み仲間だった八百屋の店主からも避けられるようになった。

警察に通報されたこともある。
親父が、暑いからって外で真っ裸になったからだ。



親父とお袋で、小さなクリーニング店をやっている。
閉店時間になれば、酒好きの2人で、カラオケスナックに行く。

毎晩、泥酔するまで呑み、喉が枯れるまで歌う。


お陰で僕は、近所の人たちや、同級生にからかわれてばかりになった。

だから下を向き、早足で家に向かう。
声をかけられないように。
顔を見られないように。


中でも、1番ショックだったのは、中学時代に担任の先生が、廊下で僕を見た時に、堪え切れずに吹き出したのを、目にした時だ。

綺麗な女の先生で、僕は密かに憧れていた。


もう駄目だ。

僕は絶望した。

過度の人見知り。
コミュ症。


それらはまるで、影のように、24時間僕にピタッと張りついたのを感じた。



(谷口、声が小さ過ぎて何を云ってるのか聴こえないぞ)


(下を見るな、上を向け)


(お前を見てるだけで、こっちのテンションまで落ちるよ)


散々云われてきた。

だからって慣れることなど、
ない。
云われる度に傷付く……。




「ようやく帰宅時間だ。夕飯はどうしよう。あんまり腹が減ってない。ストックしてあるインスタント食品でいいや」


僕は10年前に実家を出て、一人暮らしをしている。

マンションのドアを開けて、
僕は「しまった!」と声に出した。


エアコンのタイマーをかけ忘れて出社してしまった。

部屋の中は亜熱帯のジャングルと化していた。
巨大蛇がいてもおかしく無いくらい暑い。

靴を脱ぐと、急いでエアコンのスイッチを入れた。
早く冷えてくれ!

このままじゃ室内熱中症になる。


服と下着を脱ぎ、急いでシャワーで水を浴びた。

「ふぅ。気持ち良かった。部屋も、いくらか涼しくなって来たな」


トランクスだけ履いて、ビーズクッションに埋もれた。

何となくで買ってみたが、これが中々、心地よい。

「おっと、水分補給しないと」


僕はキッチンに行き、冷蔵庫に手をかけた。


   コンコン


「ん?誰かドアをノックした?」

  シーン……


「気のせいか。用があればインターフォンを押すよな」

スポーツ飲料のキャップを捻ると、体に染み込ませた。

「うまい」


    コンコン


まただ。
用があるなら、何故インターフォンを押さない。

時計に目をやると、8時半になるところだ。


人の家を訪ねるギリギリの時間か?!

僕は人との接触は、よほどのことがない限り、避けて生きている。


誰なんだ、いったい。


ドアスコープから覗いた。
そこには、若い女の子が立っていた。

知らない人物だ。

ただ、このままだと、帰りそうもない。そう感じた。

仕方なくシャツと、膝丈のズボンを履いて、ドアを開けた。


女の子が、フワ〜ッと笑顔になるのを、一瞬だけ目にした。

人の顔を、ほとんど見れない僕が、女性のことを、見れるはずがない。

免疫力が皆無だからだ。


「何のご用ですか。なんで、
インターフォンを押さないんですか」
下を向いて、やっとの思いで、そう云った。

……。

何も云わない。

それなら帰ってもらおうと、ドアを閉める為に顔を上げた。
すると目の前に居たはずの、女の子が居ない。


帰ったのか?
足音が聴こえなかったが。
だいたい何しに来たんだ。

その瞬間、嫌な想像をしてしまった。

まさか……ね。


僕は振り返り、部屋を見た。


「どういうことだよ」

女の子は、ビーズクッションに、収まっている。


僕は過呼吸になりながら、女の子に近づき云った。

「か、か、帰れ」


すると女の子は立ち上がり、
僕に近づいて来る。

焦った僕は、後退りしてベットに座ってしまった。


何を考えてるのか、女の子は僕の隣に座って来た。近い。
その上、話しかけてくる。


「やっとオトに会えた。ずっと見ていた」

ずっと見ていた?
怖いことを云わないでくれ。

オトって何だ?
僕は航平こうへいだ。
谷口航平が僕の名前だぞ。


僕は恐る恐る、その子の顔をチラッと見た。

なんだか知らないが、嬉しそうに笑っている。

直ぐに見るのを辞めた。


どうすればいい?

警察だろうか。


「オト、ご飯を食べないの?
それは良くないよ」


「え、どうして知ってるんだ」


「ずっと見て来たから、オトのこと。オトは料理が上手なのに、ここで暮らすようになってから、作らなくなったね」


「自分一人の分だけ作るのが、面倒くさいし、だから」

ちょっと待て。

何で、そこまで詳しいんだ。




お袋も呑んだくれてるわけだから、当然、僕や弟のまさるの、夕飯なんて作らない。


最初の頃は、カップ麺やレトルトのカレーを食べていた。

だけどこのままで、いいはずがない。

僕もまだ小学生だったけど、優が不憫に思えて来たんだ。


だから夕飯を、僕が作ることにした。

最初は、目玉焼きも出来ずに、ぐちゃぐちゃになった。

でも勝は、
「航平兄ちゃん、美味しいね」
そう云ったんだ。
そしてニコニコして食べていた。


僕は本気を出すと決めた。

テレビの料理番組を観たり、
給食を、ゆっくり味わって食べることにして、自分の舌に覚えさせた。


元来、料理を作るのに向いてたのかもしれない。

日に日に腕を上げていく自分。


優の笑顔を見ると僕は嬉しかった。

優が中学になると、僕は自分と優の弁当を、作るようになった。


毎朝、眠かったけど早起きして作っていた。

隣の部屋から、お袋のいびきが聴こえて来ると、蹴飛ばしたくなることも、何度かあった。


けれど諦めることを覚えていったんだ。


高校生になった勝は、自分で
おにぎりを握るようになり、それを学校に、持って行った。


「航平兄ちゃん、今までありがとう」
そう云われた時、不覚にも涙が出てしまった。


「オトが作る、夕ご飯も、お弁当も、とっても美味しそうに出来てたよ。きっと食べても、美味しかったはずよ」


僕は彼女の顔を、まじまじと
見た。


「オト、わたしの顔を、ちゃんと見れてる」

「えっ?あ、ホントだ」


「お母さんが、ご飯を作らなかったから、オトは料理が人一倍、上手になったね。オトは優しいから、優くんの為に、頑張ったのも良かったね」


「キミはいったい」

「わたしはそらよ。
ずっとずっとオトと会いたいって神様に祈ってた」

宙は、そう云うと玄関に行き、靴を履いた。


「オト、わたし帰るね。神様と約束した時間になったから」


「宙はどこから来たの。どこに住んでるの」


「分かる時は、きっと来るよ。そう遠くない未来に。
それから、緊張してて、インターフォンに気付かなかったの」


おやすみなさい。


それだけ云うと、宙はどこかに帰って行った。



その日から5年。

僕はあの日、宙と出会ってから、会社を辞めた。

しっかりと料理を学ぼうと、
学校に入り、3年間実際の和食の店で見習いもさせて貰ったんだ。



そして今日、自分の店をオープンさせる。

午後5時。
僕はスタッフに、
「宜しくお願いします」
そう云って頭を下げた。

3名のスタッフたちも、
「宜しくお願いします!」
そう云うと、深々とお辞儀をした。


暖簾のれんを出そうと
入り口を開けた。


そこには女性が2人、店が開くのを待っていてくれた。

 宙だ!


だが彼女は、僕を見ても初対面の様子だった。

そうか。
あの日のことは、忘れてしまったのか。

でもいい。
また出会えてすごく嬉しいよ。


「いらっしゃいませ。どうぞ中へ」

2人は笑顔で、店に入って行った。


宙、あの日キミの顔を見て話せてから、僕の症状は、徐々に回復していったんだよ。

遂に店を持つまでに、なれたんだ。
ありがとう。


「でね、姉が義兄のことを、
夫って呼ぶのを訊いてる内に、2歳の姪が『夫』と『お父さん』が混ざって、オトって呼ぶのよ。可愛いでしょ」

「うん、可愛い」


「だから私も結婚したら、夫のことオトって呼ぶんだ」


「えっ」



      了


























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