キミが書いた文字 34 紗希 2024年8月26日 04:20 今年も酷暑の夏。まだ過去形ではない。秋の彼岸近くなっても、今なお陽射しが強い。(海都かいと、来年こそは合格してよ。3浪なんて母さん嫌よ)(お袋、俺さ)(止めて!訊きたくない)(大学はもういいと思ってる。仕事をしたほうが)俺がこの話しを始めようとすると、お袋は耳を塞ぐ。(なんにも訊こえなかったからね。とにかく来年こそは受かってちょうだい。お風呂に入ってくるから、海都は勉強なさい)そして逃げるように、俺の前から居なくなる。訊きたくないのは、俺が話す内容を分かっているからだろ。俺が小学校を卒業すると同時に、親父は家を出た。囲ってた女に、子供が出来たからだ。それも双子の。本当か嘘かは、親父にしか分からない。子供が出来た?一応、俺も親父の息子なんだけど。多数決なわけ?たぶん1番の理由は、お袋のことが嫌いになったからだろう。夫婦喧嘩をしない日は、数える程しかなかった。親父が出張した時だけ。俺は2人が罵り合うのを、見て育った。ビジネスの裁量が合ったようで、親父が立ち上げた会社は、右肩上がりで成長した。お袋にも慰謝料は、たんまり払ったと思う。負けたくないんだ、お袋は。親父が居なくても立派に俺を育ててみせた。[私は勝ったわよ]そう自分にも親父にも云いたいのだ。俺も親に期待しないから、そっちも子供に期待しないでくれないか。また息が苦しくなった。外に出てドアの鍵をかける。かろうじで、まだ“今日”という時間だった。行くあても無いのに、歩き出す。「知らないうちに、降ったんだな」あちこちに、小さな水溜りが出来てる歩道。電線から滴る雫。駅から離れているのに電車の走る音が聞こえる。静まり返った街と最終電車。小さな音がした。辺りを見ても、人の姿も猫も居ない。小さな公園に目を向ける。ブランコが揺れていた。俺は誰も座っていないブランコに近づいた。「ちょっと前まで、誰か居たんだな。ひょっとして俺を見つけて、慌てて離れたか」傘は持っていたのだろうか。座りたいけどブランコは、かなり水に濡れていた。地面に何か書いた跡が、薄っすら残ってる。「ゆ、る?ほとんど読めないな。え〜と」俺は顔を上げ、周りを見た。それで全部が見渡せるくらい、小さな公園。「だめだぞ。絶対」俺は暫く、ブランコの傍に立っていたが、また雨が降り出した。たぶんこれを書いた人物は、もう近くには居ないだろう。自分の息が苦しいのも、気にならない程になっていた。親の喧嘩を見せられている内に、いつしか息が苦しくなるクセが着いた。もう親父も居ない今でもだ。何年も経っているというのに。帰り道、切れそうになっている街灯が音を立てていた。雨の中を、もう誰も通りそうも無い歩道を、壊れかけたキミは照らす。あの文字を書いた人物も、この俺も、きっとキミと同じに、切れそうになってるんだ。この国には、そういった人間が、いったいどれ程いるのだろう。「クソッ!本降りになって来た。また会えたらいいな。もし会えなくなっても、キミが十分頑張ったことを、俺は忘れないからな」俺は街灯にそう伝えた。そして家に向かって走った。 ジジ…… ジジ…… ジ……翌日、俺は、いつもの道を変えて、あの公園に寄ってから予備校に行くことにした。ザワザワと人の話し声がする。公園には警察の人間と、10人くらいの人達が集まっていた。俺は胸騒ぎがした。(まだ中学生ですって)(学校で虐められて……)あの夜、地面に書かれた文字。雨水でぐしゃぐしゃになっていた言葉。【ゆるさな……イヤだ 死ぬ】(このブランコで命を)ちょっと待ってくれ。(西原病院に……) (助かったって)(発見が早かったから)ホッとした俺は膝から崩れそうになった。必ずその子に会いに行こう。会ったことも無い中学生に、何故こんなに気持ちが揺さぶられるのか、自分でも分からない。だけど。許さないんだろ。それはキミが死ぬことを意味するのか。違うよな。許さないと思う程の連中から、キミが離れることだ。離れて生き延びてやることだろ?そのことを伝えに俺は、病院に行く。話しも訊く。キミが1人で抱えて来たこと全部。キミが話してくれるなら。俺は何時間でも訊く。「お袋とも話そう。諦めずに話すんだ」俺はお袋と親父の子供だ。だけど、別の人格を持つ1人の人間なんだということを。“何かの代わり”にはなれないし、なりたく無いんだっていうことを話そう。俺が今、なりたいのは大学生とか社会人などの肩書きでは無く、誰かの役に立てる人間になることなんだと。誰も通らないかもしれない歩道を、それでも来るかもしれない人の為に、照らす灯りになることなんだ。それが、どんなことかを考えて、みたいんだ。公園を出たら、作業員が街灯を取り換えるところだった。切れた街灯に「お疲れさん」と、そう声をかけて、俺は来た道を、引き返した。 了 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する この記事が参加している募集 #眠れない夜に 77,753件 #短編小説 #眠れない夜に #ありがとうございました #街灯 34