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 キミが書いた文字


今年も酷暑の夏。

まだ過去形ではない。
秋の彼岸近くなっても、今なお陽射しが強い。


海都かいと、来年こそは合格してよ。
3浪なんて母さん嫌よ)

(お袋、俺さ)

(止めて!訊きたくない)

(大学はもういいと思ってる。仕事をしたほうが)


俺がこの話しを始めようとすると、お袋は耳を塞ぐ。


(なんにも訊こえなかったからね。とにかく来年こそは受かってちょうだい。お風呂に入ってくるから、海都は勉強なさい)


そして逃げるように、俺の前から居なくなる。

訊きたくないのは、俺が話す内容を分かっているからだろ。


俺が小学校を卒業すると同時に、親父は家を出た。

囲ってた女に、子供が出来たからだ。
それも双子の。


本当か嘘かは、親父にしか分からない。

子供が出来た?
一応、俺も親父の息子なんだけど。
多数決なわけ?


たぶん1番の理由は、お袋のことが嫌いになったからだろう。


夫婦喧嘩をしない日は、数える程しかなかった。
親父が出張した時だけ。
俺は2人が罵り合うのを、見て育った。


ビジネスの裁量が合ったようで、親父が立ち上げた会社は、右肩上がりで成長した。


お袋にも慰謝料は、たんまり払ったと思う。

負けたくないんだ、お袋は。
親父が居なくても立派に俺を育ててみせた。


[私は勝ったわよ]

そう自分にも親父にも云いたいのだ。


俺も親に期待しないから、そっちも子供に期待しないでくれないか。


また息が苦しくなった。
外に出てドアの鍵をかける。

かろうじで、まだ“今日”という時間だった。

行くあても無いのに、歩き出す。


「知らないうちに、降ったんだな」
あちこちに、小さな水溜りが出来てる歩道。

電線から滴る雫。


駅から離れているのに電車の走る音が聞こえる。

静まり返った街と最終電車。



小さな音がした。

辺りを見ても、人の姿も猫も居ない。

小さな公園に目を向ける。

ブランコが揺れていた。
俺は誰も座っていないブランコに近づいた。


「ちょっと前まで、誰か居たんだな。ひょっとして俺を見つけて、慌てて離れたか」

傘は持っていたのだろうか。


座りたいけどブランコは、かなり水に濡れていた。


地面に何か書いた跡が、薄っすら残ってる。


「ゆ、る?ほとんど読めないな。え〜と」


俺は顔を上げ、周りを見た。

それで全部が見渡せるくらい、小さな公園。


「だめだぞ。絶対」

俺は暫く、ブランコの傍に立っていたが、また雨が降り出した。

たぶんこれを書いた人物は、もう近くには居ないだろう。


自分の息が苦しいのも、気にならない程になっていた。

親の喧嘩を見せられている内に、いつしか息が苦しくなるクセが着いた。


もう親父も居ない今でもだ。
何年も経っているというのに。


帰り道、切れそうになっている街灯が音を立てていた。

雨の中を、もう誰も通りそうも無い歩道を、壊れかけたキミは照らす。


あの文字を書いた人物も、この俺も、きっとキミと同じに、切れそうになってるんだ。


この国には、そういった人間が、いったいどれ程いるのだろう。


「クソッ!本降りになって来た。また会えたらいいな。もし会えなくなっても、キミが十分頑張ったことを、俺は忘れないからな」

俺は街灯にそう伝えた。

そして家に向かって走った。



   ジジ……
      ジジ……


      ジ……


翌日、俺は、いつもの道を変えて、あの公園に寄ってから予備校に行くことにした。


ザワザワと人の話し声がする。

公園には警察の人間と、10人くらいの人達が集まっていた。


俺は胸騒ぎがした。


(まだ中学生ですって)

(学校で虐められて……)


あの夜、地面に書かれた文字。


雨水でぐしゃぐしゃになっていた言葉。


【ゆるさな……イヤだ  死ぬ】


(このブランコで命を)


ちょっと待ってくれ。


(西原病院に……)

  (助かったって)

(発見が早かったから)


ホッとした俺は膝から崩れそうになった。

必ずその子に会いに行こう。

会ったことも無い中学生に、何故こんなに気持ちが揺さぶられるのか、自分でも分からない。だけど。


許さないんだろ。
それはキミが死ぬことを意味するのか。

違うよな。

許さないと思う程の連中から、キミが離れることだ。


離れて生き延びてやることだろ?

そのことを伝えに俺は、病院に行く。
話しも訊く。キミが1人で抱えて来たこと全部。

キミが話してくれるなら。
俺は何時間でも訊く。


「お袋とも話そう。諦めずに話すんだ」

俺はお袋と親父の子供だ。
だけど、別の人格を持つ1人の人間なんだということを。

“何かの代わり”にはなれないし、なりたく無いんだっていうことを話そう。


俺が今、なりたいのは大学生とか社会人などの肩書きでは無く、誰かの役に立てる人間になることなんだと。


誰も通らないかもしれない歩道を、それでも来るかもしれない人の為に、照らす灯りになることなんだ。
それが、どんなことかを考えて、みたいんだ。


公園を出たら、作業員が街灯を取り換えるところだった。

切れた街灯に「お疲れさん」と、そう声をかけて、俺は来た道を、引き返した。



      了












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