本当は怖い話し? 29 紗希 2024年8月5日 23:18 「う〜ん」朝から杏奈あんなの唸り声が訊こえて来る。席が隣りの私は、もう慣れっこだ。シナリオライター志望の彼女が、新しい構想を練っている。だから放っておくのが得策なのだ。私は鞄から、読みかけの本を取り出して、続きを読もうとパラパラとページをめくる。「ねぇ凪沙なぎさ」「なに」「凪沙は好きな童謡ってある?」「童話?そうだなぁ。急には浮かばないけど、故郷ふるさとは好きかな」「ウサギは美味しいっていうアレね」「まあね。違うけど」私は再び本に視線を落とす。後ろの席で、この会話を訊いていた、新汰あらたが一言。「童謡って怖くないか。俺は苦手だわ」そう云った。私が「あるある」そう云うと、新汰は、だろう?という顔になった。「『行きはよいよい。帰りは怖い』『後ろの正面だあれ〜』とかね」新汰は、「それそれ」と頷く。「童話だって怖いわよ」と、杏奈。「そういえば以前に話題になったよな。本当は怖い◯◯本。俺は怖いの嫌いだから、読まなかったけど」いつの間にか、怖い話しが中心になっている。止めてくれ。そういうの、苦手なんだから。「見て見て。ほら入道雲!夏よねぇ」私は必死で話題を変えようとした。「そうよ。夏が来たから怖い話しは、ピッタリでしょう?」作戦失敗……。杏奈は、突き出した唇と鼻でペンを挟んでいる。ひょっとこみたい。明後日から夏休みになる。嬉しいけど、でも今年は少し違う。「そういえば、凪沙の彼氏、夏休みになったら、1人旅に出発するんだろう?寂しくない?」「新汰のアホ。寂しくないわけないじゃない」挟んでいたペンを取った杏奈が、私の代わりに答えてくれた。朔さくとは中学は同じだったけど、お互い別の高校に進んだ。中3になった時から、何となく付き合うようになった。本当に“何となく”だった。朔は女子から人気があったから、私は随分と妬まれた。こんなにモテる朔と、何となくで、付き合うことになったことが、彼女たちからすれば、許せないといった雰囲気だった。ダイエットをして、髪型にもこだわるような努力をしなければ付き合ってはいけない。彼女たちからは、そんな決め付けが伝わった。何で自ら、難しくするのかが、私には分からない。努力とか、厳しさが嫌いな自分には。「凪沙。俺さ、夏休みはチャリで日本中を周ろうと思うんだ」「えっ。朔一人で?両親は許してくれたの?」「許すも許さないも、あの2人は俺に関心なんて無いから」そう云って朔は笑った。「資金不足だから、寝袋で野宿だけど、それはそれで楽しみなんだ」私は心配と心細い気持ちになった。朔は「凪沙、そんな顔しないでくれよ。俺は大丈夫だから。楽しみでワクワクしてるんだ」私は「うん」と頷いた。「凪沙は見送りに行くの?」杏奈にそう聞かれたが、私は行かない。朔から「凪沙は絶対に泣くから、見送りはいい。分かったね」そう釘を指されていた。なるべく小まめに連絡するから安心して。そうも云っていた。あの朔が、小まめに連絡。俄にわかには信じられない。朔は、めんどくさがり屋なのだ。期待しないに限る。翌日の夜、珍しく朔から電話がかかって来た。「明日から行って来るけど、くれぐれも、心配しないように」「どうだろう。やっぱり不安はあるよ。とにかく気をつけて行って来てね」「うん。ありがとう。凪沙も楽しい夏休みを過ごしなね」電話を切ったあと、私は急に寂しくて泣きそうになっていた。自分が思ってる以上に、私は朔のことが好きになっていることに、気付いた瞬間でもあった。朔は中学の時、一度もお弁当を持って来たことがなかった。毎日、どんな気持ちで、購買のパンを食べていたのだろう。私は朔の両親に、放任主義とは違うものを感じた。一種のネグレクトなんじゃないのだろうか。それでも朔は日々を元気に、人を笑わせて幸せそうに過ごしていた。そんな朔のことを、私は可哀想とは思ってはいない。冷たいと思われるかもしれない。けれど朔は自分を大切にしているように、私には映ったのだ。自分を愛せることって簡単なようで、そうではないと私は思う。私にはそれが出来ずにいたから。朔からは、以外にもマメに連絡があった。「今日は一日雨で、参ったよ」「休憩していたら、お婆ちゃんに、大福を貰った。美味かった」他愛無い話しを訊くのは楽しい。ところが。「ずっと野宿だったけど、風呂に入りたくて、昨日は奮発して民宿に泊まったよ。その家の女の子が、凄く可愛いくてさ」なんだと。「性格もいい子でさ、優しいんだよ」ふ〜ん。良かったじゃない。「もしもし。凪沙?訊こえてる?」「よ〜く訊こえてます」「なんか怒ってない?」「怒るわけないじゃない」「それならいいけど」絶対に焼きもち焼いてるなんて、云うもんか!8月も、残すところ1週間になったころ、朔は無事に帰って来た。アナタはどちらの国の方ですか?それくらい朔は日焼けしていた。「はい。凪沙にお土産」私はウキウキと箱を開けた。「可愛いだろ。凪沙に似てるからこれにしたんだ」「赤べこ、だよね」「そう。魔除けになるんだって。それから元気に成長するそうだよ。赤べこを持ってると」それって子供の健康を願ってのことなんだけど、朔は知ってるのだろうか。似てるって?私と赤べこ。確かに可愛いけど、複雑な気持ちになるなぁ。ま、いっか。「ありがとう。部屋に飾るね」朔は満足そうに笑っている。べこべこ赤べこ。「それから。民宿の女の子は、確かに可愛いかったけど、凪沙ほどではないよ」朔は顔を赤くしながら、そう云った。べこべこべこべこ赤べこ。新学期が始まった。「オレさ、衝撃的なことを訊いた」新汰が目をキョロキョロさせながら云う。「何よ。衝撃的なことって」杏奈が疑いの眼で新汰を見ている。「シンデレラの話し」「グリム童話でしょう。私も読んだわ」「凪沙は知らないだろう?シンデレラって実は恐ろしい話しだったんだ」新学期早々、また怖い話しの始まりなわけ?でも、ちょっと興味がある。「ディズニーのシンデレラと、全然違うんだよ」「そう。魔法使いもカボチャの馬車も出て来ないの。夜中の12時に魔法が消えることも、グリム童話には出て来ないのよ」「えー!そうなの。馬車がないなら、シンデレラはどうやってお城の舞踏会に行ったの?」「歩いて」まさかの徒歩。「それに夕方には帰ってたのよ。王子に追いかけられて、走ってる内に、靴が片方脱げちゃうの。でもガラスでは無く金色の靴」「金色……舞踏会って確か3日続くのよね」「だから3日連続でシンデレラは徒歩で行って、走って帰る。金色の靴を残して」……本当なら、どこか抜けてる気が。「新汰の云う恐ろしいって、どこが?」新汰は言いにくそうだ。すると杏奈が、「シンデレラの靴は小さいから、姉たちの足が入らないのよ。それで母親が、指を切れだの、かかとを切れだのと命令するわけ」「うわっ」「それでね」「も、もういいよ。残酷過ぎて訊けない」「分かった。ところで凪沙の彼氏は、お土産を買って来た?」「うん。持って来たよ」私は鞄から、箱を取り出すと、開けてみせた。「赤べこじゃん」「これが凪沙への、お土産なの?」私は頷いた。「私に似てるからって」杏奈と新汰は顔を見合わせた。「赤べこに似てる」「それはそれで、怖い話しだわ」私は赤べこの頭を、ちょんと押した。赤い顔が頭を下げる。べこべこべこべこべこべこ赤べこ。可愛いじゃない。ね? 了 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する この記事が参加している募集 #多様性を考える 30,568件 #短編小説 #多様性を考える #読んでくれてありがとう #シンデレラ #赤べこ 29