束縛という愛の形 38 紗希 2024年11月30日 01:02 広場には、幾つもの店が集結し、オープンマーケットが開催されていた。大学から帰宅途中で、空腹の僕は美味しそうな匂いに引っ張られ、マーケットに入った。肉料理も魚介類も、全部が美味そうだ。甘い物も好きだし。ポン急に肩を叩かれた。振り向くと、高校時代のクラスメイト、佐藤だった。「いいマーケットだろう。大学に通いがてら、俺も企画から加わってるんだ。ヨーロッパの港町にあるマーケットをイメージした」佐藤は以前から、アイデァマンの素質がある。パンチを食らったような、腫れた眼をしているので、暗そうな性格に見えるが、そうでない。コミニケーション能力にも長けてたいる。僕からしたら羨ましい。「相変わらず積極的に活動してるんだな」「まぁな。好奇心旺盛なのは、子供の頃からだし。それより槙野まきのも何か食ってけよ」「ああ、そのつもりで寄らせてもらったんだ」野菜や果物が綺麗に並んでいる。パンやケーキもだ。食べ物というより、置物みたいに黄色いパプリカたちが光っている。何を食おうか迷うな。だがやっぱり腹ペコには肉だ。どの店にしようか。キョロキョロしてしまう。「あっ滝川たきがわさんだ」佐藤が言うので、僕も顔を上げた。確かに隣りのクラスに在籍していた滝川薫たきがわかおるだ。「今は石野原いしのはら薫だがな。何せ高校を卒業すると同時に、結婚したんだから」「あの時は驚いたな」「皆んな驚いてたよ。しかも相手は50過ぎの男だと知って、益々な」「……滝川さんの親父なんだろ?」佐藤は頷いた。「“金がらみ”らしい」「だからって自分の娘を差し出すなんて理解出来ない」「まったくだ。いつの時代の話しだよ」男の方が滝川さんに、一目惚れしたと訊いている。僕なら遠くに逃げただろう。滝川さんと一緒の女性は、メイドさんだろう。一人で外出するのは、旦那に禁止されてると、訊いたことがある。息が詰まりそうな生活に思うのだが、滝川さんは大丈夫なのだろうか。「ほら、槙野」佐藤が紙皿に、何かを乗せて僕に差し出した。「炙ったベーコンと、こっちはサラミ。そしてチーズ4種。食ってみな」「いいのか?」佐藤は笑顔で、紙皿を手渡してくれた。「じゃあ遠慮なく」厚みのあるベーコンは、今まで食べたベーコンの中で一番美味かった。香ばしさに包まれた脂の甘みが、口じゅうに溢れる。燻製にしたチーズたちといえば、手が止まらなくなる。「美味いなぁ。これ全部買ってくよ。バイト代が出たばかりだし。空腹に火が着いた」「ワインも忘れずに」「居酒屋で焼酎派の自分には、似合わないがな」佐藤と僕は笑い合い、その場で別れた。滝川さんの姿も、もうなかった。学校で一番、美しい生徒。そう言われていた。小学生の高学年の頃から、スカウトや、芸能プロダクションからの誘いも多々あったらしいが滝川さんは、芸能界に興味がなかったらしい。それとも親が反対したのか。詳しいことは分からない。彼女の親父も、今頃金に困ったからと、娘を中年男と結婚させるくらいなら、芸能界入りを薦めれば良かったのに。勝手な妄想をして、僕は一人で腹を立てた。好きだった。滝川さんのことが。僕だけじゃなく、たぶん佐藤も。半年が過ぎ、あの時は初夏のオープンマーケットだったが、12月からクリスマスマーケットと名を変えていた。「久しぶりに佐藤に会って話しでもしたいな」僕はそう思い、マーケットへと向かった。佐藤は、居るだろうか。「槙野くん。お久しぶり」「久しぶり。滝川……石野原さん」ベンチには彼女だけだ。メイドさんは。「メイドの秋田さんなら、化粧室に行ってるわ」「そう」石野原さんは、フフっと笑った。そして、こう言った。「夫が相当な束縛者だと知れ渡ってるようね」僕は黙っていた。「本当のことよ」「辛くないの?そんな生活」「何故?幸せよ。ここまで私を独り占めしてくれるんだもの」「……」「愛されたことの無い私を、夫は束縛してくれるの。あ、秋田さんが戻って来るわ」石野原さんは、ベンチから、立ち上がった。「親からも愛情を受けることも無く育ったわ。けれど夫は、私を24時間ずっと独占してくれる。ずっと私だけを見てくれる」「お待たせ致しました。お嬢様。さぁ帰りましょう。もう直ぐ旦那様の戻られる時間ですから」「そうね。行きましょう。槙野くん、さよなら」そう言って、二人は並んで帰って行った。僕が見た、潤んだ彼女の瞳。それは悲しみには見えなかった。やっと自分を必要としてくれる人に出会えた、幸せの涙にしか。幸せの形は、人それぞれだ。育った環境も、その後の人生も。さてと、マーケットに佐藤を探しに行くか。今夜はワインじゃなく、やっぱり焼酎だろう。自分は幸せだと言える彼女。僕には彼女を幸せに出来なかっただろう。クリスマスが近い。 了 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する この記事が参加している募集 #眠れない夜に 76,476件 #ショートショート #眠れない夜に #ありがとうございました #人それぞれ #束縛 #食べたい #愛のかたち #燻製チーズ #炙りベーコン 38